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伊江島元米兵と手紙で交流 西小・赤嶺元校長 60年前の写真も届く


伊江島元米兵と手紙で交流 西小・赤嶺元校長 60年前の写真も届く 約60年前の1964年に撮影された西小学校の校庭と校舎(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【伊江】2022年10月、伊江村立西小学校に米国から1通のエアメールが届いた。手紙の送り主は、1964年に米空軍所属の兵士として伊江島内にある米軍基地に駐留していたパトリック・ブルックさんだ。当時の西小校長、赤嶺美奈子さん(56)が開封すると、9月27日付の手紙と数枚の写真が同封されていた。以来、2人は手紙や電子メールで交流し、親子のように会話を楽しみ、親交を深めている。
 伊江島に駐留していた当時20代だったブルックさんは現在80代、米ケンタッキー州で暮らしている。
 ブルックさんから届いた写真は、伊江島に駐留していた際に西小で撮影されたものだった。当時在籍していたとみられる子どもたちが写っており、手紙には「どなたかが必要だと思うので送ります」とつづられていた。
 赤嶺さんは、知人を介して写真の子どもたちの行方を調べたが、全員のことを知り得ることはできなかったという。
 赤嶺さんはブルックさんに現在の西小や伊江島の様子などをつづった手紙を返信した。するとブルックさんから驚きと感動が伝わる手紙が届いた。その後は電子メールで交流している。ブルックさんから約60年前の西小の校舎が写っている写真や島のシンボルの城山(伊江島タッチュー)から島全体を写した写真など、当時の伊江島を伝える貴重な写真が届いた。
 ブルックさんを父親のように慕っているという赤嶺さんは「亡き父はブルックさんが駐留していた当時に基地内で働いていたということや、私が母校に校長として着任したタイミングで便りが届いたことにご縁を感じる。ブルックさんと父が重なる。いつか、ブルックさんに会いに行きたい」と語った。
 ブルックさんもまた、赤嶺さんに自身の孫の成長や家族の話、写真を送るなど、二人は時代と国境を越えて交流を続けている。
 赤嶺さんは伊江島出身。母校、西校の校長を務め、7月1日付で豊見城市教育長に就任した。 (中川廣江通信員)