有料

デフバレー日本代表の歴史、沖縄から始まる 「神様」「父」とも呼ばれた故・宮里孝三さん その功績とは


デフバレー日本代表の歴史、沖縄から始まる 「神様」「父」とも呼ばれた故・宮里孝三さん その功績とは 1977年の世界ろうあ者体育大会(現在のデフリンピック)ルーマニア大会でルーマニアバレーボール協会から贈られた花瓶を持つ宮里孝三さん=2004年
この記事を書いた人 Avatar photo 屋嘉部 長将

 デフバレーボールの世界選手権は2008年にアルゼンチンで第1回大会が開催され、沖縄豊見城大会で5回目となる。

 デフバレーの日本代表の歴史は沖縄から始まった。石田中の体育教師だった宮里孝三さん(2015年死去、77歳)がバレーボール部の練習場所を探し、沖縄ろう学校に体育館があったことから、そこに通い練習をしていた。その練習を見ていた沖縄ろう学校の生徒たちを参加させるとめきめき上達していった。その後、本格的に指導するために、沖縄ろう学校に赴任し、1971年に全日本中学生大会県予選で優勝した。

 その後も生徒やOBを指導し、全国ろうあ者大会で7連覇を果たしたこともあった。宮里さんは日本代表監督も務めて、77年の世界ろうあ者体育大会(現在のデフリンピック)のルーマニア大会で沖縄ろう学校のOBを中心とした日本代表が初参加した。85年のロサンゼルス大会では男子準優勝、女子は3位となった。宮里さんはその功績から「デフバレーボールの神様」や「デフバレーボールの父」とも呼ばれた。

 ことし2月に県庁に玉城デニー知事を表敬訪問した日本デフバレーボール協会の大川裕二理事長は宮里さんについて触れながら、「日本で世界選手権をやるからには沖縄以外には考えられないと思っていた。沖縄のデフバレーの歴史やホスピタリティーを世界の人たちに体験してほしい」と語った。

 (屋嘉部長将)