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褒めることが時に相手を傷つける <伊是名夏子100センチの視界から>157


褒めることが時に相手を傷つける <伊是名夏子100センチの視界から>157
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 わが子が車いすユーザーの私と街中を歩いていると「お手伝い、えらいね」と、声をかけられることがよくあります。講演会でも「お子さんがお手伝いをしてくれますか?」と聞かれます。その度に私は複雑な気持ちになります。

 多くの親がそうであるように、私は自分のお手伝いをしてもらうために、子育てをしているわけではありません。また子どもは人と関わること、人を助けるのが大好きです。自分の持ち物の準備ができていなくても、友だちを手伝ってあげたり、親が掃除を始めると一緒にやりたがったりする子どもは多いでしょう。

 しかし車いすユーザーの親はできないことがたくさんあり、子どもが代わりに家事をしているだろうと予想され、そこの部分だけを意味づけるように切り取られることがあります。子どもを褒めた人は悪気があるわけでなく、むしろ褒めるのはいいことだと思っているでしょうが「親に障害があると、子どもはお手伝いをしなければいけない」という思い込みはないでしょうか? 褒められた子どもも、自分は親のお手伝いをしなければいけない、と感じ、お手伝いをしなかったら悪い子になってしまうと思い込むことがあります。

 このように相手を差別したり、傷つけたりするつもりはなくても、自分と異なる人への無意識の偏見や無理解を含んだ声かけをすることで、少しずつ相手を傷つけ、攻撃してしまうことを「マイクロアグレッション」と言います。「若いのに仕事ができるね」「外国人なのに日本語上手だね」「沖縄の人なのに時間を守るんだね」などもそうです。その人自身というよりも、その人の属性に基づく思い込み、偏見から相手を見てしまうことです。褒め言葉であっても、何度も言われることで傷つくことがあります。

 子どものお手伝いを過剰に褒められると、私も少しずつそれに疲れ、悩むことがあります。私に障害があるから子どもにお手伝いをお願いしているのか、それともしつけとしてのお手伝いになるのか、とモヤモヤします。いろいろな家族の形があるのが当たり前で、それにいいも悪いもありません。まわりからの声かけを心にとどめながらも、悩むことがあれば、親子で話し合っていけるといいなと思います。

 そして私もマイクロアグレッションの発言をしてしまうことがあると思うので、学び続けたいです。いろいろな人と出会い、時間を共にしながら、自分が好きなこと、幸せだと感じることを大切にしていきたいですね。