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AA(アルコホーリクス・アノニマス) Tak/自分を「アル中」という訳


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「アルコール中毒患者のTaKです」。AAという自助グループで話をする時、この言葉を第一声にして話し始める。
 「アル中」という言葉には、侮蔑的な意味も含まれるだろうが、だからこそいつも使うようにしている。
 酒を飲むことに振り回されていたころに私がやったことをいくつか書いてみよう。
 駐車場だろうが、よそ様の玄関だろうが構わず眠る。居酒屋で昨晩食べた、唐揚げらしき吐しゃ物の上で目を覚ます。二日酔いでふらつきながら、コンビニエンスストアのトイレで汚れたズボンを洗う。財布は、知らないお店に行った記憶とともに当然のように失くす。約束も忘れるか、二日酔いですっぽかす。アパートでは他人の部屋の前で下半身素っ裸のまま高いびきで眠りこける。
 酒酔い、酒気帯び運転なんて日常茶飯事。家では炊飯器の内窯や洋服棚に放尿する。朝起きると、棚のバスタオルがぬれておしっこ臭いことを責めてくる妻に対して「雨漏りでもしたのかなぁ」などと、訳の分からない言い訳で逃げようとする。記憶がないので、認めたくはないのだ。
 吐いて、吐いて、吐きすぎて、どす黒い血を吐きながらでもトイレから出たら、また酒を飲む。昨夜に飲み残したビールの中におぼれ死んだゴキブリの死がいがあっても、どうしても捨てる気になれず、目をつぶって飲み干す。例を挙げればきりがない。
 そんな状態になっていても私は「酒は自分の人生を豊かにしてくれるモノ」だと信じていた。
 何をどう考えても、そんなわけはない。「酒を飲むことは正義、素晴らしいこと」。そう信じようとあがいてあがいて、振り回した手足は確実に家族の心と僕自身の信頼を傷つけていた。
 そんな状態を抜け出すキッカケとなった二つのファインプレーをいつも思い出す。
 一つ目は、まがりなりにも私自身が自分の意思でアルコール依存症を認めたこと。実は入院する前、「私はアルコール依存症です」と認めてしまえば「だから、酒飲んでしまっても仕方ない」と言い訳できると考えていた。今では狂った考えだと笑い話にできる。
  (次回は11月11日)