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ガザで心のケア20年/震災経験 心療内科医・桑山さん/教え子からの写真教材に講演


ガザで心のケア20年/震災経験 心療内科医・桑山さん/教え子からの写真教材に講演 ワハバさん(中央)と笑顔で記念写真に納まる桑山紀彦さん(左)=3月、パレスチナ自治区ガザ(桑山紀彦さん提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 神奈川県海老名市のNPO法人「地球のステージ」代表理事の心療内科医桑山紀彦さん(60)はパレスチナ自治区ガザで約20年間、子どもたちの心のケアに当たってきた。東日本大震災では自らが被災者となり、置き去りにされたような感覚を味わった。桑山さんの治療で新たな一歩を踏み出した「教え子」から届く写真などを教材に、日本各地の学校で現地の惨状を伝える講演を重ねる。
 桑山さんが、戦禍で家族を失った人々の支援に携わるようになったのは、1995年。紛争下の旧ユーゴスラビアを皮切りに2003年からはガザでも活動。タクシー乗車中に銃撃戦に巻き込まれるなど、命の危険にさらされたこともあったが、家族のように接してくれるガザの人々の温かさに奮い立ち、訪問回数は20年間で48回に及ぶ。
 ガザで活動を続ける中で、11年の東日本大震災が一つの転機となった。09年に開業した宮城県名取市のクリニックで被災し、約1週間、電気の通らない院内で「なぜ自分が…」とふさぎ込んだ。「つらい目に遭ったとき、忘れ去られるのが何より悲しい」。トラウマが想像ではなくなった。
 ガザで出会った少年少女で特に印象に残っている2人がいる。約8年前、幼少期に母親をなくしたファラ・ワハバさん(19)に粘土でお母さんの像を作らせると、血液を表現したのか赤く塗られていた。ムハンマド・マンスールさん(26)は少年時代、ガザの街並みを白黒の絵で表現した。理由を尋ねると「占領や空爆される街に色なんてない」と返されたという。
 ワハバさんに植え付けられた「血まみれのお母さん」のイメージは、周囲の大人の言葉が原因だった。心のケアを続けるうち、「天国から見守る優しいお母さん」を語れるようになった。その後、「暴力で命を奪われる世界を変えたい」と大学の法学部に入学した。
 マンスールさんはトラウマと向き合う中でジャーナリストになりたいという夢を抱き大学のマルチメディア科に進んだ。卒業後はケア活動のスタッフとして桑山さんを支え、最近はガザの惨状を写真や動画で報告してくれる。桑山さんが各地の学校で講演する際の大事な教材になっている。
 桑山さんは「トラウマと向き合う中で生きがいを見いだした教え子たちから逆に生きる強さを教えてもらった」と強調する。イスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘は一時休戦したものの、1日に再開。ガザの子どもたちが負った心の傷を癒やすため、月内にも再び活動を始めるつもりだ。