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寄 稿 「眞境名正憲 組踊唱え教本」の魅力 狩俣 恵一 深い鑑賞のための芸能論


寄 稿 「眞境名正憲 組踊唱え教本」の魅力 狩俣 恵一 深い鑑賞のための芸能論 「眞境名正憲 組踊唱え教本」
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「組踊は、音楽・舞踊・セリフの三つの要素による歌舞劇である」と説明される。ただし、組踊は西洋音楽とは異なり〈歌三線〉が中心である。また〈唱え〉は演劇のセリフと異なっており、舞踊はバレエのようなものではない。むしろ〈所作〉という言葉がふさわしい。組踊の魅力は、歌三線・唱え・所作の妙味にあるが、なかでも歌三線と唱えは第一とされてきた。「組踊を聴く」と言われるゆえんである。
 唱えの妙味は〈発声〉と〈抑揚〉にあるが、本書は、真境名由康師の唱えの継承を目的とした教本である。映像を入れなかったのは、唱えの音声の妙味を伝えるためである。しかも、唱え教本およびCDには、トラック番号を細かく付してあり、聴きたい箇所をすぐに探すことができる。何度でも再生できるので、唱えを深く味わい、理解したい者には実にありがたい。教本を参照しつつCDの唱えを繰り返し聴くと、唱えの微妙な相違を味わう力を身につけることができると同時に、組踊のストーリーについても自然に理解できるからである。
 ちなみに、『琉歌全集』の編著者・島袋盛敏は「首里の無学の老婦人たちがほとんどの組踊を暗誦していた」と旧制中学生時代の思い出を語っているが、それはかつての観客が唱えを熟知して舞台を観ていたということでもある。また、唱えを暗唱した観客は、歌三線や舞台上の唱えの発声・抑揚の魅力を味わうことができると同時に、役者のパフォーマンスを堪能することができる。が、現代語訳の字幕を必要とする近年の鑑賞方法では、組踊のストーリーの理解に忙しく、役者の音声や所作を鑑賞する暇(いとま)はほとんどないと思われる。舞台脇に掲げられた字幕スーパーを読むのに忙しいからである。
 また、教本は、唱えの音声の相違を伝える工夫を凝らしている。例えば、「野原」は〈伊波本nufara、由康Nufaru〉、「下や」は〈伊波本shicha、由康Shita ya〉、「二人は」は〈伊波本futariwa、由康Futayi wa〉などのように伊波普猷の『琉球戯曲集』と対比し、和語による発音と琉球語(ウチナーグチ)の発音の揺れを指摘する。ただしそれは、校異を示すことが目的でなく、由康師の唱えの音声を忠実に記録することを意図した注記である。また、現在の歌三線をゴシックで記し歌詞が短くなっていることを示すと同時に、唱えの独白についても注意を払っている。
 要するに、本書は、文学作品を鑑賞するための手引書ではなく、組踊の歴史的背景を説明する解説書でもない。組踊役者を目指す若者には、唱えを磨くための教本である。また、唱えの音声を介して役者と観客をつなぐと同時に、組踊をより深く鑑賞するための芸能論である。
(沖縄国際大学名誉教授)