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第2・3坑道公開 32軍壕 識者「保存公開検討を」 日本軍南部撤退79年


第2・3坑道公開 32軍壕 識者「保存公開検討を」 日本軍南部撤退79年 第32軍司令部壕の「エンジニアリングトンネル」と呼ばれる坑道内部。壁面には掘削時のノミ跡や坑木が残る(代表撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 1945年の沖縄戦の軍事的中枢で日本軍が首里城地下の第32軍司令部壕内で「南部撤退」を決めた日から22日で79年。県は22日までに守礼門に近い城西小学校側の第32軍司令部壕の第2・3坑道の約110メートルを報道公開した。第32軍司令部は住民保護を度外視した持久戦のため、本島南部に避難していた住民に多大な犠牲を強いた。 (18面に特集)
 第2・3坑道につながる両坑口の場所は見つかっていないものの、県は1990年代の調査で、城西小学校内に進入用坑道を整備し、そこから第3坑道に入ることに成功。第2坑道が現存していることも確認している。今回の撮影も進入坑道を通り、第2・3坑道の内部を撮影した。
 両坑道には司令官室や参謀長室、作戦室や通信室などがあったとされる。
 写真からは崩落を防ぐ鉄製の構造物「支保工」のほか、床には水や土砂がたまっている様子や、坑道内部につるはし跡が残る様子が見て取れる。
 吉浜忍・元沖縄国際大教授は「非常にリアリティーがある。第2・3坑道もどのように保存公開できるか具体的に検討すべきだ」と話す。
 昨年3月に提言した県の「第32軍司令部壕保存・公開検討委員会」がまとめたロードマップでは、第5坑口と埋没している第1坑口の公開を決めている。
 残る坑口・坑道などは、本年度に策定する基本計画に基づいて対応するとしている。
 県は20年度に報道各社に第5坑道を公開。今回の第2・3坑道の公開で、現在立ち入り可能な範囲が全て報道公開されることになる。  (中村万里子)