【写真特集】菅氏と沖縄 「負担軽減」をPR 辺野古新基地建設「粛々」 


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 退陣が決まった菅義偉首相は、第2次安倍政権が誕生した2012年以降、政権の中心で沖縄政策を一手に担ってきた。官房長官時代に「基地と振興のリンク」を初めて明確に認め、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設は県民の意見を受け入れることなく「粛々」と進めた。その姿は県民から強権的との批判が相次いだ。約9年間にわたる菅氏と沖縄の関わりを写真で振り返る。

<抗議の中 普天間視察>米軍輸送機オスプレイの配備や米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設に反対する市民が集まる中、普天間飛行場の視察を終え、車に乗り込む菅義偉官房長官(当時)=2013年4月3日、宜野湾市役所
<翁長県政と対峙>米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設に反対を訴えた故・翁長雄志知事(当時、右)と初会談に臨む菅義偉官房長官(当時)=2015年4月5日、沖縄ハーバービューホテル
<「負担軽減」誇示>米軍北部訓練場の返還式で、ケネディ駐日米大使(当時、左)から写真を受け取る菅義偉官房長官(当時、右)=2016年12月22日、名護市の万国津梁館
<仲井真氏支援>知事選の応援で来県し、仲井真弘多知事(当時、左)と手をつないで支持を訴える菅義偉官房長官(当時)=2014年11月8日、那覇市のおきでんふれあいホール
<焼失後首里城視察>焼失した首里城を視察し、玉城デニー知事(左)と会話を交わす菅義偉官房長官(当時)=2019年12月21日、那覇市の首里城公園
<経済界にアピール>那覇空港第2滑走路の運用開始に当たって来県し、新型コロナウイルスの影響について経済団体と意見交換する菅義偉官房長官(当時、右奥)=2020年3月29日、那覇市の沖縄ハーバービューホテル