伊是名殿内に扁額寄贈 ベトナム人書家の陳氏が記す 当主の野村さん「平和な世つなぐ」


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 琉球王国時代の王家の系統を継ぐ金武御殿門中の野村家(伊是名殿内(どぅんち))にこのほど、ベトナムの書家陳光徳(ちんこうとく)(チャン・クヮン・ドック)さんが揮毫(きごう)した扁額(へんがく)が贈られた。野村家には、金武御殿13世当主・向昌期(しょうしょうき)(1825~1866年)が遺(のこ)した扁額があったが、沖縄戦で家もろとも焼失した。金武御殿門中17世の野村朝生さん(57)が野村家6代目当主になることに合わせ、かねて交流のあった陳さんが寄贈した。

 扁額の材質はボダイジュの一種メンガで、大きさは縦45センチ、横145センチ、重さ24キロ。黒の漆を塗った地板に金色で「燕翼貽謀(えんよくいぼう)」(えんよく、はかりごとをつたう=祖先は子孫繁栄のために知恵や手だてを尽くす)の文字が揮毫されている。かつて、同じ言葉の扁額を遺した向昌期は首里でも有名な書家で、薩摩の侍など、書を求める人々があまりに多かったため、知念間切志喜屋の別荘に逃れたという逸話が残っている。

 扁額と共に、七言対句の漢詩の書幅も贈られた。漢詩は、琉球王国とゆかりのあった安南国(ベトナム)の文人・馮克寛(ひょうこっかん)が、北京で交流した琉球国の使者の帰国に際して贈った詩文「達琉球国使」(1597年)の一節。

 書を見た、沖縄美ら島財団の鶴田大学芸員は「400年以上前の文人外交が体現されていて、意義深い」と感嘆の声をもらす。その上で「ベトナムでは現在公の場で漢字を使用しないが、日本と同じ、中国をルーツとする漢字文化の歴史を持つ。目を奪われる書体からは、急速に漢字が失われていっている中でも、陳氏が漢字文化を丁寧に受け継いでいっていることが分かる」と話した。

 野村さんは「ベトナム戦争当時、通っていた小学校から、上空を北爆に向かう米軍のB52爆撃機が飛ぶのを見た。戦争で大変な思いをしていたベトナムの方から、戦争で失われた扁額を寄贈してもらったことに、強い縁を感じる。平和な世をつなぎ、何百年と大事にしたい」と目を輝かせた。
 (藤村謙吾)