軽便鉄道が疾走、機関車の2号機完成! 県内で8割製造、地域観光資源に期待も 沖縄・名護のネオパーク


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子どもたちに見守られながら発車する軽便機関車2号機。後方の機関車は引退した「D51」=3月23日、名護市の名護市のネオパークオキナワ

 【名護】名護市のネオパークオキナワ内を走る「軽便鉄道」機関車の2号機が完成し、3月23日にお披露目式が開かれた。同機関車の8割近くが市内の事業所など県内で製造されており、関係者からは「県内での本格製造は初ではないか」と喜びの声も上がる。今後は運転体験型機関車としての活用も検討されている。

 お披露目式には名護市の金城秀郎副市長、市観光協会関係者らが出席し、テープカットや試乗をした。機関車は名護さくら保育園の園児らに見守られながら、汽笛を鳴らして出発した。

 軽便機関車は1914年から45年にかけて、本島中南部で運行した沖縄軽便鉄道をモデルにして製造された。実物の約4分の3スケールで再現されている。

軽便鉄道技術顧問の古家尊史さん

 2005年に同園のリニューアルオープンに伴い、D51型機関車と共に運用を開始した。18年近くの歳月が流れ、老朽化が進んだことからD51機の引退と、軽便2号機の製造が決まった。観光庁の「地域独自の観光資源を活用した地域の稼げる看板商品の創出事業」補助金を活用したという。

 1号機から設計に携わった古家尊史さん(86)が技術顧問となり、宇栄原郁夫園長代理らが中心となって製造を進めた。車輪部分のみは県外に製造を依頼したが、組み立てなどは市内で実施したという。計画は昨年5月ごろから始まり、同12月から今年3月の間に製造された。新たに運転体験機能や運転の様子を後方から観覧できる座席が設けられた。

 古家さんによると、今年1月に死去した、鉄道に詳しいエッセイストのゆたかはじめさんは1号機製造の際に資料などを提供。今回の2号機の完成も楽しみにしていたという。古家さんは「ゆたかさんも完成を喜んでいるはずだ。子どもたちが乗車することで、鉄道に親しんでもらえれば」と笑顔を見せた。宇栄原園長代理は「自分たちの手で一から作ろうと思った」と振り返る。沖縄の鉄道が戦争の影響で廃線になった経緯に触れ、「平和学習の一環としても活用したい。これまでない観光資源になるはずだ」と語った。
 (長嶺晃太朗)