サーキット場のない沖縄から初のF4参戦! 沖縄モータースポーツ界の第一人者・平良響の挑戦「世界で戦うレーサーになる」


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今季からF4に参戦。上位入賞の好成績を残す平良響(37番) =5月、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット(提供)

 沖縄モータースポーツ界の第一人者、平良響(18)=安慶田中―コザ高―愛知東邦大=が今年4月から県勢として初めて4輪レースのフォーミュラ4(FIA―F4)に参戦している。これまで6戦に出走し、30台以上が出走する中で全て入賞(10位以内)の結果を残す。最高順位は4位で、実力の高さを成績で証明。合計ポイントは現在6位。年間王者を「十分狙える位置にいる」という。来季は「F3で戦いたい」とステージアップへ意欲を燃やす。「世界で戦うレーサーになる」という夢を胸に、日々ハンドルを握る。 (長嶺真輝)

■多くの舞台経験

 小学1年でカートを始めた。中学3年からは2年連続で世界大会のジュニアクラス(高校2年以下)に日本代表として出場。昨年は全日本カート選手権の最高峰OKクラスに参戦し、F4の東南アジア選手権にも招待されるなど多くの舞台で経験を積んだ。昨年8月にはトヨタのレーシングスクールに参加して約30人中2人という狭き門をくぐり、トヨタから支援を受けてF4に参戦する権利を勝ち取った。

 F4選手権は、世界自動車連盟(FIA)が上級カテゴリーのF3につながる入門カテゴリーとして提唱し、若い才能を輩出する「モータースポーツの甲子園」として国内では15年に始まった。人気レース「SUPER GT」に帯同して全国各地のサーキットを舞台に14戦を戦うため、多くのレース関係者やファンに実力をアピールできる。

レーシングスーツに身を包む平良響

 フォーミュラカーはカートに比べて重量があるほか、エンジンはカートが125ccなのに対して約2千ccと排気量が格段に異なる。そのため最高速度はカートより約100キロも速い230キロにも達する。「少しの操作でマシンが大きく反応する」とハンドル操作にはより繊細さが不可欠だ。カートにはない6段のギアチェンジもあり、技術やコースに対する理解力などレース中に求められる能力は多岐にわたる。

 それでも平良は、4月13日に岡山国際サーキット(岡山県)であったデビュー戦で、出走した31台中4位といきなり上位入賞を飾った。スタート時は「緊張はなく、とにかく楽しみだった」という。ただ「スタート時にタイヤが冷えていて、路面のグリップが甘く初めはタイヤが滑っていた。事前走行で車体を左右に振って温めていればもっといい位置に付けられた」と反省点を残した。

■課題改善し成長

 ブレーキをかけながらアクセルを踏み、コーナーに合わせたアクセルの踏み方など一戦ごとに課題を改善し、5月25日に鈴鹿サーキット(三重県)であった第5戦では後続車と接触がありながらも5位に入った。「最近はマシンの状態をエンジニアに具体的に伝えられるようになってきた。車のバランスを取れるセットアップができ、速さも増している」と成長を実感する。その一方で、中盤まで2位につけていた第5戦を振り返り「自分にもっと技術があれば、接触もかわせた。まだまだ未熟」と向上心は尽きない。

 今季の年間王者に就くためには、これまでの6戦で1位と2位を複数回獲得している佐藤蓮(Hondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)や太田格之進(同)ら表彰台常連の選手に今後勝っていく必要がある。8月3、4の両日に富士スピードウェイ(静岡県)である第7戦、第8戦では「1位を取りたい」と意欲を燃やす。

 レーシングチームが多いという愛知県の愛知東邦大国際ビジネス科に4月に進学した。日々ジム通いやカート練習などで技術向上と体づくりに努めながら、「将来世界で戦うために英語を習得したい」と大学で語学の勉強にも励む。本格的なサーキット場のない厳しい環境でレースに取り組み始め、県外へ飛び出し、国内のトップ、そして世界を描く平良。自身を支援してきた家族や沖縄の関係者に感謝の気持ちは強く「沖縄でカートを頑張っている小さい子たちに、自分の活躍がいい刺激になってほしい」と第一人者としての覚悟がにじむ。