69年越し兄を慰霊 京都の岩崎さん、遺骨ない戦死に涙


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<69年越し兄を慰霊>兄・治三郎の写真を手にする岩崎三之利さん=7日、浦添市の伊祖公園

 【浦添】「遅くなって、ごめんな。やっと会いに来られたよ」。京都府在住の岩崎三之利さん(80)は7日、沖縄戦で戦死した一番上の兄・治三郎さん=当時(23)=の霊を慰めるため、初めて来県した。兄が亡くなったとされる浦添市伊祖を訪れ、亡くなった両親と一緒に来ることができなかった兄弟の写真を手に、治三郎さんの冥福を祈った。

 治三郎さんは、1942年に徴兵され中国へ出征し、43年に第62師団へ配属された。44年8月に那覇港に入り、45年4月20日に浦添市伊祖で戦死した。三之利さんは兄の亡くなった地である伊祖の第62師団の慰霊碑を訪れ、ろうそくと線香を供えると、肩を震わせながら手を合わせた。
 46年11月、三之利さんの家族の元には、治三郎さんが戦死した知らせと、白い布に包まれた箱に入れられた“岩崎治三郎の霊”と書いた10センチほどの木札が届いた。母・とりさん=当時(50)=は「心があるなら、出てきておくれ」と、遺骨のない墓に向かい涙を流して語り掛けた。
 集団的自衛権の行使容認で、治三郎さんのような犠牲者が再び出るのではないか、と三之利さんは危惧している。折しも、京都府京丹後市では5月27日、「Xバンドレーダー」を配備する米軍基地の建設工事が始まっていた。「沖縄の負担を考えると、反対と言い切れない。しかし、戦争に進みかねない状況に恐怖を感じる」と語る。
 「今、兄の元に行かなければいけない」と台風接近を承知の上で来県した。「戦争を知る最後の世代として、できることを続けていく」。兄への思いを募らせ69年越しの慰霊を果たした岩崎さんは、碑のそばに転がる石を一つ、丁寧に懐紙に包み、手を合わせた。