【アメリカ】多和田親子 「海から豚-」公演成功の舞台裏語る


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ミュージカル「海から豚がやってきた」を成功させた多和田真友さんと娘のミシェルさん=県人会会館

 ミュージカル「海から豚がやってきた」ロサンゼルス公演が6月末に行われ、成功裏に終わった。公演を成功に導いたチーフプロデューサーの多和田真友さんと娘のミシェルさんには幾多の困難が横たわっていたという。多和田さんは「実行委員全員に良くやったと感謝したい気持ちです」話す。

 最初に公演の実現可能性について演出家の池内美舟さん、舞台工房ハブスタッフの前田昭夫さん、ワークステーションラボの舞台コーディネーターの石川敦司さんが糸満市教育委員会の神谷良昌さんを伴って、ロサンゼルスを訪れたのが昨年11月の暮れのこと。当時は「海から豚|」についての知識は全くなく、15年のプロデューサー経験でもミュージカルは初体験であったことなどが不安材料になったという。
 しかし、沖縄県やうるま市民、出演者の熱意を感じ、「先人の物語を語り継ぐのはわれわれの使命である」と決意した。実現には費用の工面が第1課題だった。これはWUBアメリカが中心になり、WUB沖縄、WUBインターナショナルに協力を依頼、プログラムに多くの広告を掲載、収入源とした。
 観客の動員数の獲得も課題だったが、沖縄県人会やWUBアメリカ、特に上原民子さんの協力、メディアへの協賛と広告、NHK制作の「太平洋5000キロ豚輸送大作戦」ドキュメンタリーを含めたテレビ特別番組を制作し、米国人向けにマジックベルテレビから放送し、前宣伝に努めた。
 加えて多和田さんは「日系で知名度の高いジョージ・タケイさんやカオリ・ナラ・ターナーさん、そして沖縄人のルーツを持つハリウッド女優、タムリン・トミタさんなどに出演してもらったこと、沖縄県人会員の絶大な協力などが功を奏した」と話した。
 2つめの課題はロサンゼルス現地での4歳から15歳までの子供たちの募集とその後のダンスの練習が意外と困難だったこと。3月の中旬に第1回オーディションの結果20人が選ばれた。練習場はほとんど県人会の山内ビルが使用されたが、池内さんのレッスンを娘のミシェルさんが英訳した。ミシェルさんは「第1回レッスンの時、正直言って何人が残れるか、どのように継続していけるか疑問であった。子供たちの進歩が遅かったようだ」と振り返った。
 多和田さん親子はこのミュージカルをはじめ日系社会、米国社会での数々のイベントのプロデュースをボランティア(無報酬)で行っている。それは多和田さんの母親から聞いた沖縄の古い言葉「ウマンチュ(万人)ぬ為ん、我が為と思てぃ」の一言が今でもその支えになっていると多和田さんは語った。
 多和田真友さんは国頭村辺土名出身。辺土名高校、拓殖大学を出たあと、ロングビーチ州立大学大学院を卒業した。
(当銘貞夫通信員)