「沖縄と韓国の懸け橋に」行動力と沖縄愛に溢れた韓国人青年の物語


社会
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「沖縄と韓国の懸け橋になる」という思いを胸に沖縄で活動する韓国人男性がいる。チュ・ソンミンさん(26)は沖縄で起業した事業を通した沖縄・韓国での発信に加え、日韓交流の場として立ち上げたインスタグラム(SNS)「沖韓」で在沖韓国人や韓国好きの日本人をつなぎ、県内最大の日韓交流コミュニティスペースとしての役割を担い県民との交流を続けている。「全ては沖縄のために」という彼の溢れ出る沖縄愛の原点は何なのか、熱意と行動力で日々沖縄中を駆け回る彼に思いを聞いた。

◇聞き手 野添侑麻(琉球新報Style編集部)

韓国へ沖縄県産海ぶどうを初輸入に成功!?

―自己紹介をお願いします。

チュ・ソンミンと申します。1994年生まれの26歳です。韓国の釜山出身です。「沖縄と韓国の懸け橋になる」という思いで「株式会社 OKIKANG」を立ち上げました。

―「沖縄と韓国の懸け橋になる」というほど、沖縄に対して思いがあるソンミンさん。そんな沖縄に対する思いはいつから抱き始めたのでしょうか。

きっかけは学生時代に沖縄に初めて旅行に来た時ですね。沖縄は琉球王国時代に韓国とも交流していたことを知り、個人的に親しみを感じていて訪れてみることにしたんです。いざ訪れると、気温も暖かくて自然もきれい。一目で大好きになりました。でも、その中でもウチナーンチュの人柄の良さにも魅力を感じて、「ここに住んでみたいな」という気持ちが芽生えました。

でも、その旅で出会った沖縄の方々と話していると、「県外から、沖縄が好きと言って移住してくる人も多いけど、稼ぐだけ稼いで何も残さずに帰る人も多い」ということを知りました。そういった人たちのことを口々に「ナイチャー」と言っていましたが、この言葉自体にも“いろんな意味”が含まれていることも知りました。それで言うと、自分も外から来たナイチャーですので、自分が沖縄に移り住んだところで、それが沖縄にとって喜ばしくない存在になってしまうのではないかと思い、移住に尻込みしてしまったんです。そこで、まずは韓国に住みながら沖縄に対して何ができるのか考えて、それが成功したら次のステップで移住を考えてみることにしました。

沖縄の良さを韓国で広げるために、目を付けたのが「海ぶどう」です。海ぶどうは韓国にはない食べ物だったし、沖縄県の有名な特産品でもある。コンテンツとしては打ってつけだと思い、全ての貯金を崩して2018年に「想いっきりコリア」という輸入会社を立ち上げました。そこから海ぶどうを扱っている沖縄の業者に片っ端から連絡しましたが、残念なことに全て断られてしまいました(笑)。

初めて韓国に沖縄県産もずくを初めて輸入することに成功!

聞いたところ、海ぶどう販売は国内だけで手いっぱい。しかも、何も実績のない会社だし、見知らぬ韓国人から「海ぶどうを輸入したい」っていう連絡がきて、とても怪しんでいたそうなんです(笑)。なので、直接会って話そうと思って再び沖縄へ飛んだんですが、同様にどこも取り合ってくれませんでした。困り果てていると、一か所だけ声を掛けてくれたんですが、その方が今ではバラエティ番組などで話題になっている「嫁ニー」こと平良司さんでした。

平良さんからは、「海外で海ぶどうを売るなんてやったことないけど、やらなきゃ何も生まれないですよね!是非一緒にやりましょう!」と、嬉しい反応をいただけたんです。そこから韓国の貿易協会などに足しげく通い、輸入の許可も下りて晴れて韓国で初めて沖縄県産海ぶどうを輸入することに成功しました。海ぶどうという存在すら韓国では知られていないし、名前もなかった。韓国の税関から「名前から決めてください」と言われ、「本場と同じように바다포도(海/ぶどう)にしたいです)と伝えて、今では韓国の辞書にも海ぶどうは、沖縄県特産品として記載されるようになりました。

満を持して、沖縄移住!

―ものすごいストーリー!強く思い続ければ物事は動くということを実感しました。

その後、僕らは海ぶどうをインターネットで販売をすることにしました。商品を登録したら、すぐに1件注文が入ったんですよ。「いよいよ沖縄の海ぶどうが韓国国内に出回る!」と思うと嬉しくて、すぐに配送作業をしたのを覚えています。そこからも多くの注文を頂くようになりました。あの時は「韓国にも沖縄好きな人たちが、こんなにいるんだ」と思うと嬉しかったですね。また多くのYouTuberさんも取り上げてくれたり、大型デパートからも納品があったり、沖縄の海ぶどうを販売している実績を取り上げてくれて、韓国にある沖縄事務所からも「共同で何かやりましょう!」と声を掛けていただいたりと、販売事業は右肩上がりで順調だったんですが、それがとある出来事がきっかけで一日でゼロになるという事態が発生します。

韓国の大型デパートでも販売された

―それは、2019年にあった「日韓貿易紛争」でしょうか。

その通りです。貿易紛争と同時に韓国国内での日本製品の不買運動も起こっていました。注文もどんどん減り、既に頂いていた注文も相次いでキャンセルが続いて経営危機に陥りました。スタッフも増えて、これから海ぶどう以外にも沖縄の良いものを輸入しようとしていた矢先だったので、かなり落ち込みましたね。でも、目の前で起こっている現象に対して「自分のミスが原因で招いたトラブルじゃないのに、なんで僕らの夢を失わないといけないんだ」と納得がいかなかったんです(笑)。落ち込んでいる場合ではなく、時期は早まったが本場の沖縄に舞台を移そうと思い、韓国での事業をたたむことにして沖縄移住することを決めました。一つだけ大きな後悔があるのですが、「想いっきりコリア」は3人の仲間で運営していたので、信じてついてきてくれた仲間には申し訳ないことをしてしまったなと思っています。

2019年6月に来沖して、翌月には那覇市商工会議所の「起業セミナー」に参加しました。一か月間授業を受けて、経営のノウハウを学び直しました。受講後すぐに起業しようと思ったのですが、沖縄の市場がどういったものなのか現場を知る必要があると思い、沖縄県産品関連を販売している会社から声をかけていただき、お土産部門の統括マネージャーとして働かせて頂くことになりました。そこでは1年間お世話になりまして、昨年8月に「株式会社OKIKANG」を設立しました。

沖縄の文化を韓国へ。韓国文化を沖縄に。

―立ち上げた「OKIKANG」は、どのような事業を展開しているんですか?

キッチンカーを使った「まにもご」という飲食事業、韓国ファッションを発信するアパレル事業の「hanehuku」、そして僕の原点でもある沖縄県産海ぶどう販売事業の「沖ピ」の三つを事業の柱にしています。

「まにもご」は、韓国語で「たくさん食べて」という意味です。韓国のリアルな食文化を発信するためのツールとして使っています。韓国の食文化はキャッチ―なので、多くの沖縄県民に喜んでもらえるんじゃないかと思って是非やりたいと思っていた事業ですが、コロナ禍の中で店舗を出すのは大きなリスクがある。でも、キッチンカーだとフットワーク軽く、直接待っている人に会いに行けると思って、この形態で始めることにしました。

「まにもご」「hanehuku」「沖ピ」のロゴ

僕が飲食業で形にしたいのは、韓国で流行っている食べ物を現地と同じタイミングで沖縄に届けることなんです。今までだと韓国で流行った食べ物がまず東京の新大久保などのコリアンタウンで取り上げられて、沖縄に届く頃には韓国で流行った1~2年後、というような大きな時差がありました。その頃にはもう韓国では違う食べ物が出てきているし、沖縄でも現地と時差なく最先端で発信していきたいと思ったんです。今は「クロッフル」というクロワッサンの生地を使ったワッフルと、韓国料理の定番「トッポギ」を売っています。一番大事なのは沖縄の人に喜んでもらえることだと考えているので、売上は会社を維持できる程度あればよいと考えていて、多くの人に手に取ってもらえるようにできるだけ安価で販売しています。

次に韓国ファッションの「hanehuku」は、宜野湾に直接店舗を出す予定です。女性用の服をメインに日本未進出の韓国アパレルを展開します。まだオープン前ですが、hanehukuのSNSも400人を超える人にフォローしてもらっています。ブランド名の由来ですが、韓国には「服は翼だ」ということわざがあります。「着ているものが良ければ、その人自身も良く見える」という意味なのですが、そのことわざにヒントを得て、翼をより柔らかい羽という言葉に言い換えてブランド名とすることにしました。韓国のアパレル文化を沖縄から日本全国に展開していきたいと考えています。

そして3つ目の「沖ピ」ですが、僕の経営の原点となった「海ぶどう」を扱う事業です。これは僕自身の過去の悔しさや悲しさを再び晴らす思いも込められた事業になっています(笑)。「沖ピ」という名前も、最近若者の間で好きな人のことを「好きピ」と称しているのですが、そこを参考にしまして「沖縄好きピ」で「沖ピ」と名付けました(笑)。去年、お土産販売をしていた時に感じたことなのですが、海ぶどうを買っていくお客さんって30代から上の世代がほとんどだったんです。そこから僕たち若い世代にも海ぶどうを手に取ってもらえるようにという思いも込められています。

沖縄で海ぶどうを扱う事業をやると決めた時、多くの人に反対されました。それは、既に多くの会社が参入している市場で競争相手も多いですし、「韓国人なら特性を活かして、韓国的な事業にのみ注力した方がいいんじゃないか」ともアドバイスを頂きましたが、韓国的な事業だけをやるのは、「沖縄と韓国の懸け橋になりたい」という自分の夢に反すると思ったんです。沖縄に新しい韓国文化を持ってくる傍らで、沖縄文化も韓国に発信していきたい。そのため微力ながらも無力ではないと信じて、沖縄の力になるべく海ぶどうを取り上げて再び韓国に発信していこうと決めました。

僕は本当に沖縄にお世話になっていて、たくさんの恩があります。前の会社でも自分が外国から来ているからこそ応援してくれた沖縄の方々がたくさんいたんです。でも、その人たちがコロナ禍で苦しい思いをしているのも見てきました。彼らのために、沖縄のために助けになりたいという思いがとても強くなって、そのため自分にできることは過去に経験がある海ぶどうの輸出事業で、沖縄の製品をより多くの人に届けることじゃないかと考え、再びチャレンジすることにしたんです。

そう思っていると那覇市にある「メック・インターナショナル」という会社の社長さんが、「僕たちが思いを込めて考え抜いた海ぶどうのパッケージデザインがあるんだけど、僕らが使うよりソンミンさんに代わりに使ってもらったほうがいい」と言ってくださってデザイン案を譲ってくれたんです。「僕らの思いも引き継いで沖縄の海ぶどうを広げてください」とも言われました。沖ピの海ぶどうは、いろんな人の気持ちがこもった海ぶどうなんです。

「沖ピ」が手がける海ぶどう。デザインは県内にある企業から提供してもらった

日韓交流コミュニティとしても活躍!

―またこれもすごい裏話…。沖縄のために動き続けるソンミンさんを見て、心が動かされる人が多いのでしょうね。話は変わりまして、「沖韓」は県内における日韓交流コミュニティとしても機能しているそうですね。

この会社が生まれたきっかけは、SNSのインスタグラムなんです。沖縄に来たばかりの頃、知り合いも誰もいなくて沖縄の友達がほしかったんです。そこで、沖縄で開催されている日韓交流会はないかと探してみたんですが、見当たらなかった。じゃあ「なかったら、自分が開催したらいいや」と思い、まずはインスタグラムのアカウントを作って、沖縄の韓国好きや在沖韓国人の皆さんが交流できる場になればいいなと思って始めました。今では2500人を超えるフォロワーがいて、交流会も4回開催しています。

―交流会に参加される年齢層ってどれくらいなんですか?

幅広い年代から参加がありましたが、一番多いのは僕と同じ20代ですね。中には、小学生の子がお母さんと一緒に参加したケースもありました。今は県内での新型コロナの感染増加に伴って交流会ができていないのが、とても歯がゆい気持ちです。でも、今は会社として沖韓を成長させる時期だと捉えて、コロナが明けた後にはコミュニティとしての活動も更に充実させていきたいと考えています。みんなで韓国ツアーにいく計画も立てていますよ!

琉球大学の学生や、韓国人留学生と共に定期的にビーチクリーン活動も開催している

―最後に、ソンミンさんの今後の夢をお聞かせください。

変わらず、韓国と沖縄の架け橋になることです。新型コロナが拡大する前の2019年に沖縄を訪れた外国人観光客の数で、韓国は台湾に次いで第2位なんです。世の中が落ち着いて、沖縄にまた韓国からのお客さんが戻ってくる頃には、同じく韓国人の自分がきっかけとなって沖縄の産業に何かしら良い影響が与えることができるのではないかと考えています。そのために今は沖韓を経営的にもコミュニティの場としても、もっと充実したものに育てる必要があると考えて、日々課題に向き合っています。経営者としても、一人の人間としても、沖縄と韓国の両方から信頼される人材になりたい。その思いで動いています。将来は沖縄県から勲章をもらえるまでの人に成長できていたらいいですね(笑)。

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)

2019年琉球新報社入社。音楽とJリーグと別府温泉を愛する。18歳から県外でロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作る人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。