沖縄にーびちの歴史を調べてみた。→祝う気持ちは不変だった。 「てみた。」17

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 ドライアイスの煙に包まれた新郎新婦、シャボン玉やプロジェクション・マッピングの演出―。

 結婚式費用は全国平均の320万円を大幅に下回る130万円にもかかわらず、豪華過ぎる沖縄スタイルはどのように生まれたのか。結婚式の歴史を調べてみた。




1950年代は自宅がメイン
海洋博を機にホテルが定着


 式場の移り変わりについて、出版社ボーダーインクの新城和博さんによれば、1950年代頃までは自宅が主流だった。貸しホールや公民館に移っていったのは60年代以降である。

 75年の沖縄海洋博を機にホテルが多く建てられたが、観光客数が落ち込んだため、ホテルが披露宴会場を提供するようになった。

 80年代にはホテルでの結婚式が定着し、披露宴はどんどん豪華になった。

 

派手婚自粛の動き

 一方で「派手婚」が広がるのを懸念する動きも早くからあった。63年9月30日の琉球新報の紙面では「新生活運動推進協議会」という組織が結婚式の簡素化について話し合ったとある。

 お祝儀を1ドル以内とすることを再確認したことに加えて、主催者は招待客にお土産を送らないことや、招待客はごく親しい人に限ることなどが話し合われた。



1963年9月30日(夕刊)の琉球新報紙面



“派手婚”改善運動から4年後



1967年10月5日(夕刊)の琉球新報紙面



いろいろと比べてみた。

 1967年10月5日の本紙記事と、ウェディングプランナー濱崎小百合さん(25)=沖縄ワタベウェディング・エリスリーナ西原ヒルズガーデン=の話を参考に、昔と今を比べてみた。
 



にーびちに潜入してみた。


 スーツやドレスで着飾った数百人がステージを見て笑い合い、ビールや泡盛を飲んでいる。沖縄の披露宴ではおなじみの風景だ。「あれ、新郎新婦よりも余興がメイン?」と思ってしまうほど充実したステージが次々と披露されるのが「沖縄式披露宴」だ。

 西原町にある披露宴会場エリスリーナ西原ヒルズガーデン。新郎・稲福一樹さん(30)と新婦・まり子さん(28)の披露宴に潜入してみた。

 新郎新婦が入場すると、会場は拍手に包まれ、あちこちから祝福の声が上がる。1歳になった娘の希子ちゃんも一緒に琉装で登場だ。

「かぎやで風」で幕開け

 乾杯の後は、3人の踊り手による幕開けの「かぎやで風」。370人という大勢の前で緊張したのか、踊り手の1人が扇を裏表逆に持ってしまい、慌てて持ち変える場面もあった。

親族一同で披露も

 新郎親族一同の余興は「やってみよう」と題して、子どもたちを中心にかわいらしい踊りを披露した。新婦のいとこ一同は総勢18人でBEGINの「国道508号線」に合わせてダンス。組み体操も取り入れられており、大きな拍手と指笛が鳴り響いた。新婦いとこの宮平聖正さん(27)は「練習時間の確保が難しくて、ぶっつけ本番だったけど達成感がある」と爽やかに笑い、おいしいビールを飲みに足早に席へ戻った。

「消防最強決定戦」

 トリの余興は新郎同僚の消防士たちで、その名も「消防最強決定戦」。防火服やダイビングスーツを身に着けた消防士6人が入場。客席からは拍手が起こり、期待感が増す。

 その彼らがステージで演じたのは椅子取りゲームだった。座れずに脱落した人は舞台の前でおもむろに尻を突き出す。するとステージ両脇から鍛え上げられた肉体の“罰ゲーム執行人”が姿を現し、会場は大いに沸いた。

 最後はお約束のカチャーシー。多くの人がステージになだれ込んで踊りながら“お披楽喜(ひらき)”となった。

 独特の様式がふんだんにちりばめられた沖縄の披露宴は、出席者全員が楽しみながら幸せを分かち合える空間だということを、第三者として参加することで感じることができた。これからも独自の進化を遂げ、たくさんのハッピーな場面を生み続けていくだろう。
 





国王&王妃に変身

幸せいっぱいの表情で登場した
(左から)希子ちゃん、一樹さん、まり子さん





余興も体張ってます


ラストの大技を決め、
満足げな表情の新婦のいとこたち





宴の幕開けはコレ


定番の「かぎやで風」で幕開け
 




必ず誰か脱ぐよね


緩急のある見事な余興を披露した新郎職場の皆さん



余興 職種ごとに特徴もあった。

 


テレビ局

某テレビ局のニュース番組風ビデオレター。
映像のプロたちによるクオリティーの高さは見ものだ



警察官、消防士

消防士や警察官、自衛官に多い制服着用モノ。
肉体美を披露したがる





実は本紙も…

新報特別取材班による祝福新報では、ちゃっかり購読もアピール




専門家に聞いてみた。

  玉城愛さん 玉城愛さん


人生の感動に出合える


 25歳ごろから見習いで披露宴の司会をするようになった。今では年に30組ぐらい、多いときで約50組の司会を務めている。

 最近は新郎新婦のどちらかが県外出身で、県外形式の披露宴の司会も務めるが、シーンとしているので緊張してしまう。ある程度飲み会のような席があることも大事。友人たちが余興を盛り上げたり、花道を作ったりするので、会場の雰囲気が明るくなる。

 司会を始めた頃はどれも同じ形式だったが、今は個性が出ている。会場のイメージづくりやセンスのいいウエルカムスペースを作るなど、DIY感がある。


 ウェディングケーキやファースト・バイトも多様になっている。ラーメン屋さんのバイトで知り合ったカップルがお菓子細工のラーメンを盛りつけた「ラーメンケーキ」を用意していたり、運動好きのカップルがファースト・プロテインをしたりしていた。

 オリジナルの余興もクオリティーが上がっている。今はやっているネタはブルゾンちえみさん。警察官や銀行員など堅い職場ほどはっちゃけている。

 一番印象に残っている余興は、2年前に見た親族が披露したものだ。40~50代のおばちゃんとおじちゃんたちが20人ぐらいで「ヒヤミカチ節」に合わせ、オリジナルの振り付けを踊っていた。ひげダンスのような変装をした一人一人が主役で妥協がなく、みなぎるパワーをひしひしと感じた。

 司会を終えるといつも心の中は感動でいっぱい。こんなにも、人生の感動に出合える仕事はないと思う。披露宴をやろうかどうしようか迷っている方がいたらやってほしい。人生の大事な1ページになりますよ。

(フリーパーソナリティー)
 


(2017年10月29日 琉球新報掲載)



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