御嶽は土地と人々の守り神 マブイロードを歩くVol.11

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 沖縄には本土に見られない信仰があります。それが土地そのものを敬(うやま)う自然崇拝。

 今回は沖縄の人たちの心のよりどころについてのお話しです。
 

 

 16日の放送では北中城(きたなかぐすく)村にあるナスの御嶽(うたき)がドラマの舞台になりました。

 琉球王府が編纂した『琉球国由来記』によると、この御嶽には「ナスツカサ御イベ」という神が祀(まつ)られているとされています。また、祠(ほこら)の最奥部には初代琉球王、舜天王統(1187~1259)の開祖・舜天(しゅんてん)、舜馬順熙(しゅんばじゅんき)、義本(ぎほん)の三王を葬ったとされる墓もあり、村指定の史跡としても登録されています。
 


御嶽は神様が降臨する場


19世紀初頭に建設された中村家住宅(国指定重要文化財)。当時の豪農の建築様式をすべて備えている

 ところで本題の御嶽です。御嶽とはひと言で説明すると「その土地と人々を守護する神様」が祀られた聖地のことをいいます。

 本土の神社に似ていますが、沖縄の御嶽はそれよりも原始的な信仰の場で、その土地本来の自然を神様として崇(あが)めているのが特徴です。

 御嶽信仰が自然信仰といわれる由縁ですが、祀られている対象は原生林や大木、井戸、泉、自然の石や岩など。神はこうした自然の造形物に降臨すると考えられてきました。ナスの御嶽の場合も同様で、立派な拝所の奥部にある琉球石灰岩の岩が神の御神体(本体)とされています。

 沖縄では聖域や霊石を「イビ」「イベ」と呼び、その前に香炉が置かれています。実にシンプルな信仰の場といえますが、あくまで自然をもって神々としているので、仏教やキリスト教などで語られる教義や経典もありません。

 こうした自然信仰は古代の東アジア一帯にみられ、本土も仏教が伝来する6世紀以前は自然崇拝が一般的でした。他方、沖縄には仏教が民間に浸透せず、古い信仰がそのまま残り、現在に伝わったと考えられています。
 

私利私欲の祈願はタブー


土地の安寧を祈るオバァ。湧水地そのものが御嶽として祀られている(北中城村大城・アガリヌカー)

 御嶽は神様に五穀豊穣やその土地で暮らす人々の安寧を祈願する神域。いいかえれば個人の願い事や欲望を祈るための場所ではないということです。

 それゆえ昔から自然の恵みに感謝の念を伝える場として大切に維持され、神事を司る神人(かみんちゅ)も身を浄(きよ)め、神様に仕えてきました。

 事実、御嶽には人智の及ばない崇高な何かが宿っていると信じる人が現在も大勢います。いわば空間全体が霊的な由来のある場として土地の人々から神聖視されてきたのです。

 そのため人々はつねに御嶽を掃き清め、むやみに足を踏み入れず、御嶽の前を通るときも一礼をするのが大切なマナーとして遵守されてきました。
 


 マジムン軍団のアカマタデービはいたずら心から御嶽に踏み込みましたが、むろん、そのような行為はあってはならないことです。

 荒ぶる神という言葉があるように、古来、人々は御嶽をただならぬ場所として畏(おそ)れてきました。神の望むところではないことにふれると、放心状態に陥ったアカマタデービルのように神罰がくだるかも。禁忌になるような行為はくれぐれも慎みましょう。
 


文・仲村清司
写真・武安弘毅

聖地を汚すのはもってのほか。
天罰が下るぞ




     


一度は歩きたい大城・荻道散歩道

 集落全体が庭園、それが北中城村にある「大城・荻道(おぎどう)散歩道」です。国指定重要文化財・中村家住宅から始まる小さな集落ですが、道沿いはどこも季節の花や緑で縁取られ、まるで遊歩道を歩くような感覚。

 また家々の壁や石塀には地元の人たちや陶芸家が作ったシーサーが配置されていて、思わず目を奪われるような景観が続いています。

 それもそのはず、ここは『日本の歩きたくなる道500選』に選ばれている名道なのです。

 見どころはそれだけではありません。実はここは湧水(ゆうすい)の町。そこかしこにカー(泉)があり、いつも清々しい空気にあふれています。この週末、足を伸ばしてみませんか。
 


民家の壁にも面シーサーがオブジェのように飾られている

 


 

 

 





 



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