#ブラックフェイス と#地毛申請 国際社会で際立つ日本のステレオタイプ

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 昨年末の大晦日の番組で放映された「浜ちゃんのブラックフェイス」について、議論が続いている。ダウンタウンの浜田雅功さんが顔を黒く塗って、アメリカの俳優エディ・マーフィーの役に扮した映像のことだ。日本テレビが「ガキの使い!大晦日年越しSP絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」で放送したのだが、沖縄では放映されていない。

 番組の演出が、ネット上で議論を呼んだことはイギリスのBBCや、アメリカのニューヨークタイムスでも報じられた。


 放送した日テレは「差別の意図はなかった」とのこと。ハフポスト日本版に掲載されている、AbemaTIMESのブログが、日テレの見解を紹介している。

『ガキ使』の黒塗り問題、日テレ「差別の意図なし。今後の番組作りの参考にさせていただきます」(HUFFPOST)


 この話題、私は「出演者よりも作家が表に出てきてほしい」とSNS上でニュースをシェアした。すると、たちまちコメント欄で議論が広がった。アフリカンアメリカンの人に扮するために顔を黒く塗るということが「モノマネとはとられず、差別ということなの?」という疑問もあれば、アメリカの大学に通っている同級生から「アフリカンアメリカンの俳優の女装芸に仮装して、笑いをとった白人の女の子が後々、黒人の怒りをかって退学騒ぎになった」という話も。
 

 


 ネットでも賛否両論、議論されている「浜ちゃんのブラックフェイス」。

 議論を見ながら、私は物心がついた頃、テレビ画面を通して初めて見た音楽グループ「ラッツ&スター」への違和感を思い出した。人種問題の歴史などを何も知らなかった小学校低学年の頃に抱いたあの嫌な感じは何だったのか? 考え続けている。


アフリカンファッションを身にまとうパートナーと私。パートナーはルーツをたどってアフリカ由来のダンスを始めている

 私のパートナーはアフリカンアメリカンでダンサーだ。

 彼は私のSNSのタイムラインに出てきた浜ちゃんのブラックフェイスを見て、言った。

「何これ」

 日本のお笑い芸人が大晦日の特番でエディ・マーフィーのモノマネをしたことに異議を唱えた人がいて議論になっていると説明したら「当たり前だ」と怒るパートナー。

 不愉快に思った彼は、このニュースを #ブラックフェイスやめて とハッシュタグ付きでシェアした。

 

 ダンサーの彼には許せなかった。そして「Black Peopleの間でよく言われる言葉」として私にあるフレーズを教えた。

Everyone wants to be black, until it’s time to be black.

 直訳すると「本当に黒人として扱われる時がくるまでは、みんな黒人になりたがる」

 そして主旨は「音楽のビート、ファッション、ダンススタイルや仕草もみんなAfrican AmericanやLatinoから取っていってマネするくせに、アメリカで黒人の射殺事件が起こった時、差別が起こったときは一緒に声も挙げずに『私は黒人じゃない』と知らんふりをする」ということだ。

“Black Peopleの歴史は知ろうとしないのか”

 彼の元にも「差別と思ってやっていないから…」と声が届いたようで、今も静かな怒りはおさまっていない。

「HipHopなどのストリートダンスとか文化はどんどん取るのに、Black Peopleの歴史は知ろうとしないのか。日本のダンサーも、そういう人が多いよね」

 

 私がこの記事を書いた理由はブラックフェイスが「差別か、差別ではないか」ということに白黒をつけたい訳ではない。

 せめて「教えられていないから、知らなかった。差別の意図はなかった」ではなく、「もうちょっと、学ぶ姿勢を持たないか?」と言いたい。

 

 日本で「国際化」を語る時、英語は話せた方がいい、経済的な国際連携が大事・・・そんな話ばっかりだ。

 ブラックフェイスがアフリカ系の人たちの歴史で、差別とされてきたこと。これを「日本では知られていないから、差別の意図はない」で済ませず、知ろう。

 自分たちがやった行為の正当化ではなく、これを機に互いの歴史や文化を深く知ろうとする歩み寄りが、もう国際社会の一員として私たち1人ひとりに必要だと思う。
 


私はこれも言いたい 地毛申請やめて
沖縄から考えたい人種と容姿のこと


 2018年1月4日、新年の琉球新報の1面にこんな記事が載った。

 「『地毛証明』提出、高校の87% 沖縄県内、染髪で学校の活動制限30%」(琉球新報)

 地毛証明とは、学校に対して「私の髪の色はもともと明るいですよ」「もともと、うねりのある髪です」と生まれつきの髪の性質であることを申告するもの。昨年は東京都内の学校でも実施しているとしてニュースにもなっていたが、沖縄県立高校は何と9割が、この申告制度を導入しているという。


琉球新報では地毛申請についてアンケートを行っている。

 記事には「染髪を禁止するため」とある。そうだとしても、私はこの制度が生む偏見が大きすぎることを知ってほしいと強く思う。

 沖縄にはご存知の通り、広大な米軍基地がある。戦後73年、米軍占領下を経て日本に返還された今までの間に、どれだけの事件事故が起きただろうか。そして、基地という拠点を通して、どれだけの米軍関係者と沖縄の人との繋がりが生じただろう。

 私は、2013年頃から戦後米軍関係者と沖縄に暮らした女性の間に生まれた14人にインタビューしてきた。

 一般的に「ハーフ」「ミックス」「ダブル」もしくは「アメラジアン」と呼ばれる人たちである。私が取材をした頃、彼/彼女らが「アメリカ系うちなーんちゅ」と名乗る動きが起こった。
 


 彼・彼女らのアイデンティティーも呼び名も、戦後ずっと沖縄が“抱えさせられている”米軍へのイメージ、事件事故、社会の感情によって揺さぶられてきた。

 

 話を地毛申請に元に戻そう。私が取材した沖縄×アメリカルーツの1人の母親の話を紹介したい。


“2年前の春。県立高校に入学した娘は、髪の色で指摘を受けた。(中略)
 娘は祖父母が外国人に当たる“クオーター”だ。地毛申請書には「親である私が混血であるため、髪の色は娘にも遺伝している」と記した。(中略)
 だが、夏休みに娘が当番で学校に行った時のこと。太陽の下で髪色の検査が行われた。担当教師は「茶色い」と指摘した。「地毛を登録していますよ」と言っても「確認が取れていない」と取り合わなかった。”


 この地毛申請のプロセス、グローバルな視点に立てばとても理不尽だ。

 生まれながらの特徴を「特別」として証明する。容姿が周りと違うと指導を受ける。

 いろいろなルーツゆえ、見かけが違うことなんて当たり前の海外であれば、人種問題として即刻取り上げられると思う。

 それは人種と容姿の違いが、奴隷制度や隔離政策など差別を伴う歴史に直結することを海外ではより身近に感じ、わかっているからだ。


地毛申請が抱える排他性
髪を区別することに合理的な意味はあるのか


インタビューした「沖縄×アメリカ」ルーツの人たちと書籍出版記念で座談会を開いた=2017年5月、那覇市天久の琉球新報社

 先ほどの母親の話で、私が気にかけている点は他にもある。

 取材の時、娘さんが同席して、他の生徒から言われることを私に話してくれた。

 「髪色が明るい、威張っていると先輩に目を付けられる。周りには『髪を染めても人種を言い訳できるからいいよね』と言われる」。

 地毛申請という制度を学校社会で普及することで、生まれもった外見へのゆがんだイメージ、さらには多様なルーツがあることへの特別視、偏見を助長させていないだろうか。

 親子がその後、どうなったかは記事を読んでほしい。

 私が言いたいことは至って簡潔。

 沖縄の県立高校に通う生徒は、髪は黒、パーマもかけていない真っ直ぐな髪でなければいけない

 このようなイメージの押し付けにもなり得る地毛申請の制度に、私は「やめて」と言いたい。自分の子どもが髪の毛がカーリーであっても、私は申請書を提出したくない。
 


子どもにどう教える?人種のこと
国際社会で通用する感覚を育むために



 時代の流れは早い。ウェブの普及、人の移動‥日本、そして沖縄は思った以上に世界に開けている。そのようななか(未だに地毛申請制度を取り入れているような学校社会で育つ)次世代の子どもたちに、どのような国際感覚を身につけてもらうか。

 私なりにだが、パートナーがインストラクターを務めるダンススタジオで子どもたちに伝えるようにしている。

 沖縄でおとなに言われること、沖縄や日本だけで目にすることが常識だと思わないこと。

 

 そして、アフリカンアメリカンのパートナーはじめ、スタジオにはアフリカやアメリカにルーツがある子どもたちがいる。

 例えば、カールが強い、いわゆる伸びれば「アフロ」になるパートナーの髪を、子どもたちはわしゃわしゃとお構いなしにみんなで触る。

 この行為も、アフリカ系の人々からすると「嫌悪感」を感じやすいもの(もちろん「気にしない」という人もいるかもしれない)

 実際に、パートナーは、しょっちゅう髪を触られることに最初は戸惑った。しかし、相手は身近に外国のルーツの人がいない無邪気で純粋な子どもたちだ。「直に接して、相手を知る」という他者理解のプロセスも大切かもしれないと、パートナーと話し合った。

 今の方針は、しばらくは子どもたちが触ってきても叱ったりはしない。

 あまりに当たり前にやるようになると「外国や日本社会でも、アフリカ系の人と会った時、気軽に髪の毛を触ったりすると、嫌な気分になる人も必ずいる」と伝える。

 アフリカンアメリカンの歴史をどーんと伝えたい気持ちもあるが、ゆっくり丁寧に。また次の伝える機会を待つ。試行錯誤だ。

 英語を話したがらないアメリカ系の生徒に関しては、周りの子に「無理に『英語話してみて』と強要することは、相手が気持ちよくない」と伝える。

 言語の押し付けは、多感な子どもたちのアイデンティティの揺れにも関わるから。

 

 さて、肌の色の問題だ。ある日突然、小学校低学年の生徒が、インストラクターであるパートナーと、他の外国ルーツがある子の肌の色を見比べて「●●●の方が黒い」と話し出した時は戸惑った。

 どんなことを意図して言ったのか、特に特別な意味はないのか勘繰りながら「世の中には肌の色も茶色とか、黄色っぽいとか白いとか真っ黒とかいろんな人がいるし、身長が高い人も小さい人も車椅子の人も…いろんな人がいるでしょ?」と返した。肌の色のことを言われた子の顔色もうかがいながら。

 「うん」と微笑んで聞いた彼女に、私の言葉がどんな印象を与えたかはわからない。

 ただ「社会にはいろんな人がいることはごく普通」ということと、「いろいろな人がいれば、それだけ数多く歴史と文化がある」と相互理解の礎を育んでおきたい。
 

悲しい歴史、繰り返さないために

 浜ちゃんのブラックフェイスと地毛申請―。

 私はこの2つの事象から私たち社会の「国際感覚」と「人権」を考えたいと思っている。

 容姿に注目することは、思った以上に誤ったパワーを持ち得る。

 それは歴史が証明している。

 鼻の大きさでツチ族とフツ族に分けられ、虐殺にも発展したルワンダの歴史。「琉球人」として沖縄の人が万博で展示され、問題となった人類館事件。そして、今もアフリカのリビアでは奴隷売買が行われているのだ。

Libyan Slave Trade: Here's What You Need to Know | Time

 
「意味のない区別は差別につながる」。 私は取材先で聞いたこの言葉を大事にしている。

 社会の情勢が不安定になれば、人は排他的にも差別的にもなる。だからこそ、日頃からむやみな区別はしたくない。

 

 そうこうしているうちに次は、黒人の男の子に「ジャングルで一番かっこいいサル」と書いたトレーナーを着せたファッションブランド「H&M」の広告が物議を醸している。みなさんはどうお感じになっているだろうか。
 



~ この記事を書いた人 ~


 東江亜季子(あがりえ・あきこ) 琉球新報Style編集部。りゅうちゃん日記では「炎のダンサー アッコ先生」で登場する。 編集局文化部、中部支社報道部などで記者を経験。著書に『私のポジション 「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる』。新聞で学ぶ学生向け講座を開発したり、大学入試改革を見据えた講座をしたり、教育、ダンス、記者を行ったりきたりしている。ダンス仲間募集中!




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