先生に虐待されていたころの話 100cmの視界から―あまはいくまはい―(32)

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子どもは夏休みが終わり、学校がスタート! それが9歳の私は、とても怖かったです。養護学校(現特別支援学校)に通っていて、クラスは私1人だけ。ほとんどの時間は担任と2人きりでしたが、精神的虐待があったのです。鉛筆を1回落としたらカウントされ、10回落とすと1時間居残り。「あなたの担任は誰もしたくなかったから、赴任したばかりの私が引き受けるしかなかった」「周りの先生方からあなたの評判は悪い」「あなたが私のことを嫌いなのはわかっている。でもあなたは子ども、幼稚で、甘やかされているから、私がしつけなければいけない」と言われ続けました。そして「これは先生とあなたの問題なのだから、他の人に言ったり、頼ったりしないように」と。

自分で歩いて学校に行けたら、行かなかったでしょう。でも親が車で送迎するので、無理やり車に乗せられました。逃げたくても、逃げる方法も、場所もなく、ただただ毎朝泣くしかありませんでした。月1、2回ずる休みをして祖父母の家に行きましたが、担任から電話がかかり、祖父母が叱られるので恐怖でした。


真顔でカメラを見つめ、笑わないと決めた9歳の私

養護学校は教員数が多いので、私が泣いているのをたくさんの人が見ていたし、音楽、体育、給食などは、他のクラスも合同でした。でも助けてくれる先生は1人もいませんでした。1回決まった担任や授業形態を変えるのは許されないことなのでしょう。子どもがどんなに苦しんでいても。「大人は信頼できないこともある」と学びました。そして「私が嫌われているから、まわりの先生は助けてくれない」と思うこともあり、好きだった先生のことも信じられなくなりました。

逃げられなかった私は、この1年間で撮る写真では絶対に笑わないと決めました。カメラを向けられると毎回仏頂面するので、担任から怒られましたが、それがせめてもの意思表示。

1年が過ぎることだけを願い、来年は状況が変わると信じていました。生まれてから骨折ばかりで、体が痛いことには慣れていた私は、この状況も終わりが来ると信じていたのです。そして翌年、担任が変わり、楽しい学校生活を取り戻しましたが、大人を100%信頼することはできなくなってしまいました。



夏休みが明けた今こそ、学校以外に子どもの居場所が必要です。子どもも自分に合った場所、人を選びたいのです。そして子どもに手を差し伸べる大人が、1人でも多くいてほしいです。子どもの気持ちに寄り添う大人になりませんか。

(次回は25日に掲載します)


伊是名夏子

いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。

 

(2018 年9月4日 琉球新報掲載)

 


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