あなたの知らないボン! キュ! 盆! 家族で知ろう 旧盆の話

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今年の旧盆は8月13日(火)から15日(木)。家族も集まるこの時期に、沖縄の旧盆に関する知識を深めてみませんか。放送作家・ラジオパーソナリティーの賀数仁然さんが楽しく、わかりやすく旧盆やエイサーについて解説します。家族や親戚との話題にしたり、子どもたちに教えてあげたりしてください。




〈プロフィル〉

賀数  仁然 (かかず・ひとさ)
放送作家・ラジオパーソナリティー。「琉球沖縄の歴史文化はオモシロイ!」がモットー。琉球史や考古学、民俗学から人類学まで、エンターテイメントとして発信中。著書『さきがけ!歴男塾』は、アマゾンにて1位獲得(日本史地方散策部門)。その他沖縄県および沖縄観光コンベンションビューローなどで、プロジェクト委員も歴任。琉球新報カルチャーセンターでも琉球史入門の講師を担当。早稲田大学大学院修了(生命科学専攻)



ボンボンボン…エイサー太鼓の練習が聞こえてきますと、そろそろお盆です。沖縄は旧暦なので、旧盆です。以上縮めて「ボンキュボン(ボン旧盆)」です。冗談はさておき、お盆の歴史的なお話を少し。 まずはお盆って行事のルーツ。ご先祖様がこの時期にあの世から戻ってきます。子孫らが祖霊を迎える7月15日前後の行事がお盆ですね。これって、日本の仏教行事なんですよ。そう。日本だけ。



「え、中国ではないの? だって、"お盆"って盂蘭盆会(うらぼんえ)からきているのでしょう」…そうです。しかし、中国仏教の盂蘭盆会は、先祖を家に迎えるようなものではありません。日本にあった先祖崇拝と、習合した行事だとされます。日本では盆と正月に、祖霊神が家に戻ってくるという考えがありました。なので、盆飾りを作り、お盆の初日(沖縄ではウンケーという)は迎え火を焚(た)いて、果物や料理をお供えする。沖縄だと、ジューシーをお供えしますね。これをウンケージューシーといいます。ちなみに、現在では、ほぼ"炊き込みご飯"のことをジューシーといいますが、本来は「ジューシー=雑炊」ですね。沖縄では、お米は貴重品で、戦前まではほとんど口にするのは特別な時。そう、お盆は特別な日だった。さらに貴重なお米を、水で増やして、雑炊にしていたってわけです。先に進みます。

また、施餓鬼(せがき)といいまして、仏教でいうところの、餓鬼道。輪廻転生を繰り返す時に、欲が強いと死後に進むところ。ここに迷える魂(餓鬼)がいるから救おうとするもの。迷える魂を救うことで、徳を積むということになる。沖縄では、ミンヌクーといって、仏壇のそばに、ご先祖さまとは別に取り分けた料理を入れた、小さな器があったりします。これが施餓鬼です。送る日(ウークイ)にも、クワズイモの葉っぱに包んで玄関に置いておくのも同じです。



琉球時代のお盆




ではここで、琉球時代の記録を見ていきましょう。時代は1477年。日本史でいうと室町時代から戦国時代へと移行していく頃。朝鮮王朝の船が嵐にあって琉球で救助された。彼らの琉球見聞録が残っている。少し長いのですが、お盆の様子がよくわかるので、私の意訳にて失礼します。(『朝鮮王朝実録 琉球史料集成』内田ら榕樹書林より)

「七月十五日 諸寺刹、幢蓋(盆棚)を作る。(中略)その上に人形および鳥獣の形を作り王宮に送る。居民(琉球人)、男子の屈強なものを選抜し、黄金の仮面を着し、笛を吹き、鼓を打ちて王宮にいたる。(中略)その夜、大いに雑戯が催される。国王も臨席し、男女ともに集まり、沿道、町の中ごったがえす…」

どうやら家の仏壇を飾り付けて、ご先祖様を迎えるスタイルではないようですね。当時の日本も同じで、お盆は各家ではなく、お寺でやるもの。より仏教行事色が濃かったんですね。15世紀にはすでに琉球にも伝わっていた…ちょっとまて。「黄金の仮面をつけた若者が、笛や鼓を打ち鳴らして、やる雑戯」ってナンダ?

ひょっとすると、エイサーだろうか? はい。ズバリ、エイサーかどうかはわかりませんが、「盆行事の最終日の夜にやる人気の雑戯」って、盆踊り的な何かでしょう。ちなみにエイサーのルーツは日本の念仏踊り。



また、「ここで注目したいのが「黄金の仮面」ですね。僕が思うに、八重山の盆行事「アンガマ」に近いモノではなかろうかと考えています。初盆の家を訪ねる、またはストリートで芸を見せながら、仏教的な説法をする。あの世はどんなことが起きているのか?六道輪廻とはなにか? 餓鬼道とは何か? 選抜された若者は、あの世からやって来た幽霊なので、これらに答える。ただ答えるのではなく、笛や鼓に合わせた歌や踊り、つまり芸能を見せながら、仏教の教えを説いていたのかもしれません。もしかすると、エイサーのルーツである念仏踊りであることも考えられます。個人的には、エイサーのオールドスタイルが八重山に「アンガマ」として保存されていると考えています。



エイサーのルーツと広がり



この記録よりだいぶ後に記された王府編さんの書『琉球国由来記』(1713年)がありますが、そこで念仏は「尚寧王の代に、袋中という日本の僧(浄土宗)が、琉球に渡来し、お経を那覇で一般人がわかるように、やさしく説いた。これが念仏の始まりなり」とありまして、袋中上人由来ということになっている。袋中は1603年に琉球に渡来し、1606年に日本に帰国している。王府は「念仏」をエイサーのルーツとして、『琉球国由来記』に記録していたのかという疑問はあるが、「事始め」の「遊戯」として記されているので、18世紀には宗教行事というより、やはりひとつのエンターテインメントとして認識していた。つまり、エイサーとして認識と解していいでしょう。



しかし、その那覇には王国時代から伝わるエイサーは、ほとんど残されていません。どちらかというと、沖縄本島中頭地区。これはどういうことでしょう。実は現在のようなスタイルで、中頭地区に拡散していくのは、王国時代というより、日本の沖縄県になってから。比較的新しいのです。意外ですね。しかし、意味合いは同じ。エイサーシンカ(エイサーをする仲間、グループ)は、あの世からやって来た祖霊神なのです。日本の盆踊りは、編み笠や布をかぶったりしますが、あれもこの世のものではないことを意味しています。エイサーシンカも、サージをまく。しかし、踊る時にジャマなので、頭部に巻き付けるようにするわけです。初盆の家々を周り、説法はしませんが、踊る。エイサーの演目の中で、滑稽な踊りをする人たちが(チョンダラーともいわれる)酒甕(さかがめ)を担いで踊ったりしますが、あれはギャラの代わりです。また、チョンダラーとは「京太郎」と書きます。そう、日本仏教が盛んだった京都。そこからやってきた太郎ってことです。滑稽踊りで「せいんする節」の歌にありますね。「京の太郎がちくたんばい(京の太郎が作ったよ)」ってね。



エイサーは盆踊りの枠を飛び越えて、年中踊られるようになりました。今では、日本全国にクラブチームがあり、世界にも広がりつつあります。15世紀に黄金のマスクで踊っていたニーセー達は、あの世で現在のエイサーをどう見ているでしょうか。とりあえず感謝を込めてウチカビで送金しておきましょう。

写真・村山望(一部を除く)

(2019年8月1日付 週刊レキオ掲載)




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