何気なく通るあの「橋」 実は深い歴史があった!


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地方部記者が担当地域のイチオシを紹介する「J(地元)☆1グランプリ」。今回のテーマは「橋」。誰もが知っている大きな橋もあれば「こんな橋があったのか」というマニアックな橋、知られざる歴史を持った橋などを紹介する。各地のさまざまな橋について知れば、これまで何となく通過していただけの身近な橋の見方が変わるかもしれません。

大浦川の沈下橋 ★ 名護

大浦川の沈下橋=1日午前、名護市大浦
大潮の満潮時の沈下橋。増水し橋が水中に隠れている=6日午後

県内唯一沈む橋

美しい海と深緑の森が出合う名護市の大浦湾。1995年に名護市の天然記念物となったマングローブ林は、オヒルギやメヒルギ、ヤエヤマヒルギなどの植物が生い茂り、カニやエビ、貝類など数多くの生き物が生息している。名護市大浦区のわんさか大浦パークにある遊歩道「大浦マングローブロード」を進むと、県内で唯一と言われる、増水時に水中に沈む「沈下橋」が現れる。

同パークによると、橋は1960年ごろに架けられたとされている。地元では“チンカン橋”と呼ばれ、かつては住民がトラクターで往来するなど、農道として利用していた。ウナギの稚魚を捕まえるわなを仕掛ける場所としても活用され、地域住民の生活を支えてきた橋だ。

普段は橋の柱が見えていた沈下橋も、大潮の満潮時には水位が上がり、橋はすっぽりと水中に姿を消す。橋周辺では、テナガエビやカノコガイなどが生息し、干潮時には生物観察を楽しむこともできる。

最近では、沈下橋を一目見ようと足を運ぶ人も。わんさか大浦パーク管理責任者の深田友樹英さんは「橋は、昔から地域の人の生活に密着してきた身近な存在だ」と語った。

(吉田早希)

比謝橋 ★ 嘉手納-読谷

比謝橋(写真奥)の歴史と魅力について説明する宮平友介さん=6日、嘉手納町嘉手納

地域支えた至宝

嘉手納町と読谷村を結ぶ長さ約35メートルの「比謝橋」は、比謝川周辺の景観とともに沖縄八景の一つだった。嘉手納町史には「町民の至宝であった」とも記されている。その歴史は古く、琉球王国時代の1717年に板橋から石橋に改築されたとの記録が残る。災害による損壊で改修を繰り返したが、1867年に五つのアーチが特徴的な石橋が完成。現在の約2倍の長さだった橋は、日本軍や米軍の爆撃にも耐えるほど頑丈だったという。

戦前、橋の近くには河港があり、徳之島から牛が、やんばるからはまきなどが運ばれた。周辺には商店が並び、にぎわいを見せたという。町教育委員会民俗資料室の嘱託員・宮平友介さんは「北部と那覇を結ぶ本島中部の交易の中心地として栄えた」と説明する。

戦時中は日本軍が米軍の侵攻に備えて橋を爆破しようとしたが、びくともせず、米軍の砲撃にも耐えた。戦後は一時、米軍が建設した橋が隣接し、二つの橋が架かっていたという。1953年に現在の鋼橋に架け替えられた。

川沿いには遊歩道が整備され、地元民の憩いの場になっている。宮平さんは「自然を満喫し、歴史を感じながら散策を楽しんでほしい」と目を細めた。

(下地美夏子)

石火矢橋 ★ 豊見城

300年以上の歴史を有する石火矢橋=豊見城市豊見城

300年以上の歴史

とよみ大橋から県道11号へ入ると、右手に豊見城城址を覆う新緑が目に入る。饒波川に沿って進み大型スーパーなどを過ぎると右奥手に「石火矢橋(イシバーシ)」が姿を見せる。長さ約45メートル幅約9メートル。一見、地味な橋だがその歴史は古く、壮大だ。

石火矢橋という名称の由来は諸説ある。中でも琉球王国時代、中山の軍隊が橋を渡る際に「火矢」で豊見城グスクを火攻めにしたことからそう呼ばれたという説が有名だ。

尚巴志が豊見城グスクを攻めるため、いわゆる「女スパイ」を送るために架けさせた橋という伝説もある。

1694年には秋の台風で洪水が起こり橋は破壊されたという記録がある。3年後、延べ3万1千人もの人の手で木製から石橋に改修された。橋は沖縄戦でも破壊された。2020年時点で少なくとも320年以上の歴史を有する橋なのだ。橋の歴史は沖縄の歴史を反映している。

那覇市から自転車で通勤するため石火矢橋を利用する男性(62)は「琉球王国時代から重要な橋だ。昔の人はどんな思いで渡っていたのだろうかと考える。今後何百年も残っていてほしい」と話し、さっそうと自転車で駆け抜けていった。

(照屋大哲)

来間大橋 ★ 来間島-宮古島

宮古ブルーの海が映える来間大橋(小型無線機ヘリで撮影)

宮古ブルー堪能

宮古島で橋といえば、観光客のほとんどが訪れる観光スポットの一つ伊良部大橋が有名だが、その他にも池間、来間の二つの大橋がある。池間大橋に次いで宮古島で2番目の大橋として1995年3月に完成した来間大橋は、全長1690メートルで、開通当初は日本で一番長い農道橋だった。伊良部大橋や池間大橋とは違った「宮古ブルー」の景色を見ることができる来間大橋は、今年で開通25年の節目を迎える。

来間大橋は宮古空港から車で約15分。来間島と宮古島との間の海峡は潮の流れが速く、循環する海水の透明度が高い。そのため、橋から見る海面の青いグラデーションは格別。干潮時には底まではっきりと見え、遊泳している魚の種類まで判別できるほどだ。景色を楽しむための歩道も整備されており、徒歩でゆっくりと空と海の両方の青を堪能できる。

また、橋の途中には石のスツール(椅子)がある展望スペースがあり、欄干には一部で「たそがれシーサー」という愛称で呼ばれて親しまれるシーサーの姿が。橋の下を航行する船を見守っているシーサーが美しい海を見つめ、たそがれているように見えることから、この名前がついたという。シーサーと一緒にたそがれてみるものまた一興だ。

(真栄城潤一)


橋の入り口はどっち?

通常橋のたもとには橋の名前が書かれています。橋の両端にあり、一つは漢字、もう一つはひらがなで書かれています。一説によると漢字で書かれている所が橋の入り口で、ひらがなが出口に当たるとか。

橋に入り口と出口があること自体、普段意識しませんが、こんな雑学を知ると皆さんが住む身近な橋をチェックしてみたくなることでしょう。

今回紹介する橋は、メジャー級から、地元の人にはよく知られているマイナーな橋までいろいろあります。新型コロナウイルスの影響で、外出や散歩もままなりませんが、地元の橋がどのような由来でできたのか、思いをはせてみるのもいいかもしれません。

(亜)

(2020年4月12日 琉球新報掲載)