同じ場所で撮影したタイムスリップ写真から変貌を読み取る。
レンズを通して見る街並みや建造物は、当時の生活や世相を映す鏡。現代にも息づく街の魅力とパワーを再発見しよう。
宜野湾市普天間にある普天満宮。ずっと「普天間宮」だと思っていたら、よくよく見れば扁額(正式名称?)は「普天満宮」という表記だった。
「天満宮」といえば天神様こと菅原道真を祀る神社と思っていたのですが、普天満宮は琉球王朝時代に琉球八社として建てられた歴史のある神社。熊野権現との縁は深いようですが、いつごろから「天満」の字が使われたのでしょうか? 映像からたどってみました。
1932年の記録映画『沖繩懸の名所古蹟の實況』には、有名な松林とともに鳥居に掲げられた扁額も映っていますが、そこには「普天間宮」と地名を冠した名前が彫られています。

戦後、普天満宮の土地は米軍に接収され、一時立ち入りが困難になりましたが、1949年に開放され、避難していた御神体もこの地に戻って再建されます。1952年の8ミリには、何もない場所にポツンと鳥居と社殿らしきものが映っていて、再建当時を見ることができます。この時に鳥居は造りなおされているようですが、扁額は「普天間宮」のままでした。

「普天満宮」と言う表記が見られるのは1963年の8ミリから。この年に拝殿を再建したとされるので、そのタイミングが「普天満宮」の始まりなのかも知れません。実は復帰前の沖縄の映像を観ていると、米軍統治下の沖縄において、日本への憧憬(しょうけい)のようなものを感じる瞬間が多々あります。正月には家庭でも日の丸を掲揚し、国際通りには東京から柳の木を送ってもらい銀座化するなど……。米軍に対する抵抗の意味も含めて、現在とは異なる沖縄の人々の日本へのまなざしと、その影響は多岐にわたったと思います。

普天満宮の表記変更については、もちろん神社の都合などいろいろな理由があると思いますが、一度きちんと聞いてみたいものです。

執筆:真喜屋 勉(まきや つとむ)
沖縄県那覇生まれの映画監督であり、沖縄の市井の人々が撮影した8ミリ映画の収集家。沖縄アーカイブ研究所というブログで、8ミリ映画の配信も行っている。
https://okinawa-archives-labo.com/