誕生から半世紀 ぱっちりお目目の琉球みやらびこけし


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沖縄らしさを表現

6種類の琉球みやらびこけし。(左から)絣帯、糸満娘、四つ竹、四つ竹琉球松、絣帯琉球松、ハイサイドール。ハイサイドールは主に米軍基地内の売店で販売されている 写真・村山望

贈り物や土産品として、セレクトショップや土産品店などで販売されている「琉球みやらびこけし」。八重瀬町にある「障害者支援施設 太希(たいき)おきなわ」の利用者たちが半世紀にわたり技術を守り続けてきた。伝統衣装に身を包んだ沖縄らしさあふれる商品について同施設の指導員、新里隆弘さんと金城勤さんに話を聞いた。

紅型琉装や琉球絣(かすり)に身を包んだ「琉球みやらびこけし」。作っているのは障害者支援施設「太希おきなわ」の利用者たちだ。同施設が東北地方の特産品であるこけし作りを始めたのは、沖縄が日本復帰した1972年。「沖縄に新しい産業をつくりたい」という当時の理事のアイデアがきっかけだった。「東北からこけし職人を呼び、指導員が技術を習得。利用者に伝えていったと聞いている」と新里さんは誕生の経緯を話す。

現在製作しているのは、花笠と紅型琉球姿の「四つ竹」やバーキ(かご)を頭に載せた魚売りの「糸満娘」、琉球絣を着た「絣帯」、リュウキュウマツで作られた「四つ竹琉球松」「絣帯琉球松」、こけしの体にメッセージ用の紙が巻かれた「ハイサイドール」の6種類。材料は主にエゴノキとリュウキュウマツで、本島北部から仕入れている。

誕生から3年後の1975年に開かれた沖縄国際海洋博覧会では、土産品として人気を集めた。生産が追いつかず「徹夜で作業していたらしい」と金城さん。県出身バンド「MONGOL800」の曲をもとに作られた映画「小さな恋のうた」(2019年)に「ハイサイドール」が登場した時は再び注目を集め、県外からの注文も増えたという。

表面が滑らかになるまでやすりをかけていく

独自のデザインに進化

デザインは徐々に変化を遂げ現在の形になっていった。「顔は東北のこけしのように切れ長の目だったが、今は沖縄らしく目がぱっちりになっている」と金城さん。以前はは高さ1㍍の特大サイズや手のひらサイズなど、大きさもさまざまだったが、現在は高さ25㌢、直径5㌢程度の飾りやすいサイズに統一。胴体も直線的なものから曲線を帯びた形に変化し、独自性が高まっていった。

工房では40歳~80歳の8人の利用者が作業に従事している。障がいがある利用者たちは、道具を使って機械のスイッチを動かしたり、片手で絵付けするためにうまくこけしを固定するなどしたりして、工夫を重ねて器用に作品を仕上げていく。

四つ竹琉球松のこけしに絵付けをする一番のベテラン、田港さん

技術の継承目指す

作業は分担制で行い、それぞれの技術を発揮。50年動き続けている年季の入った旋盤機で角材を削るのは刃物を使うため指導員の金城さんが担う。利用者たちは、研磨作業と絵付けを担当する。中でも、顔と胴体の絵付けは高度な技術が必要で、作業できるのはこの道50年近くになるベテランの田港朝一さん(80)と翁長敏光さん(65)のみ。曲線状のこけしに絵付けをするのは至難の業で、「2人は細い線を真っすぐに、下描きもせずに描いている。自分は下描きなしでは描けない」と金城さんはほほ笑む。

極細の絵筆を使い絵付け作業をしていた翁長さんは「筆は自分で使いやすいように(カミソリで)削っている。最初は下描きしていたけど、慣れてそのまま描けるように。顔を描くのは今でも難しい」と話す。翁長さんらの手から愛らしい「みやらび(娘)」たちが生み出されていく。

こけしに絵付けをする翁長さん

一つ一つ丁寧に作られ、製作できるのは月に30~40体と少ない。作り手によって微妙に表情も異なり、大量生産にはない手作りならではの味わいがある。

今後の課題は「後継者」だという指導員の2人。「高齢化が進んでいる。50年も続いているので、これからも引き継いでいくことが目標」と新里さん。新たな後継者の育成に期待を込めた。

こけしの作業に携わる利用者ら=八重瀬町仲座の「障害者支援施設 太希おきなわ」(写真撮影時のみマスクを外してもらいました)

(坂本永通子)


(左から)指導員の金城さんと新里さん

障害者支援施設 太希おきなわ

沖縄県島尻郡八重瀬町仲座1038-1
TEL 098-851-7522

(2022年2月17日付 週刊レキオ掲載)