沖縄の野球史を学べる資料館!?【島ネタCHOSA班】


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沖縄セルラースタジアム那覇内に沖縄県の野球の歴史を振り返ることができる資料館があると聞きました。訪れた知人によると、貴重なグッズも置いてあるそうです。野球好きの私は興味津々です。ぜひ調べてください。

(那覇市 デーブ・ルース)

まもなく甲子園が開幕する時期に、グッドタイミングな調査依頼です。さっそく現場に行ってみましょう。

歴史的な品々が並ぶ

那覇市奥武山町の沖縄セルラースタジアム那覇に到着すると、入口右手に野球資料館を発見。那覇市体育協会管理第2係長兼奥武山体育施設長の内原伸彦さんが案内をしてくれました。

内原伸彦さん

資料館に入ると、沖縄の野球の歴史を振り返ることができる年表パネルや歴史的な試合で使用した用具、トロフィー、メダル、ユニホームなどが並ぶ他、映像資料も見ることができます。

野球資料館の開館は2010年。沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市営奥武山野球場)が改装オープンした時に併せてつくられ、那覇市の教育委員会が管理しているそうです。現在、展示されているのは約50点。「野球関係の個人の方から寄贈していただいたり、こちらで預からせていただいたりしています」と内原さん。野球に携わる人たちの協力によって貴重な資料が集まったのですね。

安仁屋宗八さんの広島カープ時代のユニホーム

資料館に入るとすぐ目の前に、県出身のプロ野球選手第1号として広島カープで活躍した安仁屋宗八さんのユニホームと100勝目を達成した時のウイニングボールが展示されています。「これは入団の際の契約書なんです」とユニホームの横に置いてある紙を指差す内原さん。見ると1963年に作成された広島カープとの手書きの契約書が。60年前の契約書は歴史的資料としても興味深いです。

次に目に入ったのは優勝旗。「1948年に沖縄を4地区に分けて行われた南西諸島大会の優勝旗で、パラシュートの生地を使って作られたものです」。パラシュートを材料に手作りで作られていて、戦後の沖縄ならでは歴史を感じます。

パラシュートの生地で作られた優勝旗

沖縄代表として初めて甲子園に出場した首里高校に関するものも、興味深いものばかり。試合で使われたボールの他、記念品や当時のバッグ、健闘を願って折られた千羽鶴も展示されています。その中にある焼き物のお皿について内原さんが説明してくれました。「甲子園の土が検疫にかかって、沖縄に持ち帰れなかったときに、甲子園の土を混ぜて作ったという焼き物です」。当時はまだ米軍統治下にあり、本土に渡るにはパスポートが必要だった沖縄。1958年、首里高校が1回戦で福井県の敦賀高校に0-3で試合に敗れた後、持ち帰った甲子園の土は、沖縄への持ち込みが不可能に。泣く泣く海に捨てることになったといいます。それを知った兵庫県芦屋市の陶芸家が贈ってくれたという逸話も知ることができました。

首里高校のコーナー。甲子園初出場の際の資料などが並びます

現役プロ選手も紹介

県出身の現役選手の写真パネル

2022年にはリニューアルをした同資料館。入り口前に「県出身者のプロ野球選手(一軍経験現役選手)」の写真パネルなどが新たに加わりました。「県出身の選手が活躍していると、子どもたちにはインパクトが大きいのでは。野球選手になりたいなどと、将来の夢につなげてほしいと思います」。パネルを置いたことで、資料館の存在のアピールにもなっているようです。

昨年、沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市営奥武山野球場)は「日本野球聖地・名所150選」(日本野球機構(NPB)主催)に認定されました。1960年に開場し、さまざまな野球の歴史が刻まれた場所に資料館があるのも感慨深いものがありました。ここでしか見られない品々を通して野球史を肌で感じることができた調査員でした。

興南高校関連の展示。1968年に沖縄初の4強入りをした「興南旋風」時の品々も

沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市営奥武山野球場)野球資料館

営業時間:9時~21時
入館料:無料
TEL 098-857-0889

※読売巨人軍春季キャンプ期間などは入場不可

(2023年8月3日 週刊レキオ掲載)