26歳で両親にゲイであると伝えましたが、理解してもらえるかもという私の期待は見事に打ち砕かれました。父にはそれまでの人生で見たことのないけんまくで怒られ、母には号泣され、本当につらい経験になってしまいました。ただ、その後両親と不仲になったわけではなく、お互いに電話をして連絡を取り合ったり、実家に帰省したりする関係は続いていました。
私としては、両親が理解してくれなくてもゲイであることは恥じることでもなく、自分が正しいと思う生き方をしようと考え、受け入れてもらうことは諦めていました。ですので、まさか両親が受け入れてくれる日が来るとは思ってもみませんでした。
きっかけは39歳の時、初めて故郷の岡山県津山市で行ったLGBT講演会に母が来てくれたことでした。実は事前に講演会をすると両親に伝えていたものの、怖くてどんな内容かまでは正直に言うことができませんでした。
母は私の本職の物の整理の講演会だと勘違いしてしまったようで、たくさんの人に参加してもらおうと、酪農家の友達や近所の方を誘っていました。直前にLGBT講演会だと知って相当ショックだったようですが、すでに周りの人を誘っていて、母だけ行かないわけにはいかないと聞きに来てくれたのでした。
母は講演会中、ずっと暗い顔をしていてほとんど顔を上げることもなく、やはり受け入れてもらうのは無理かなと思ったのですが、家に帰ってくると少し表情が明るく、いい話だったと言ってくれたのでした。
一緒に来てくださった母のお友だちが、講演会中ずっと母を励まし、講演会後もカフェでお茶をしながらいろんな話をしたそうです。なんと、翌朝には兄に「LGBTのことは講演を聞けば理解できることだと思う」とさえ言ってくれました。別の部屋で2人の話し声を聞いていた私は感動で涙が止まりませんでした。
母が父にも話をしてくれたようで、今では両親とも受け入れてくれています。「テレビでLGBTのことをやっていた」と母からわざわざ電話してきてくれることもありますし、最近では私が母校の小学校で講演をしたり、学校の先生対象の研修で講師をして地元の新聞で何度も報じられると、両親もうれしく思ってくれているようです。これからの時代には必要なことだと応援してくれています。
理解してもらうのに13年という本当に長い時間が必要で、一時は諦めもしましたが、両親と今こうした関係を築くことができたことは本当に幸せなことだと思いますし、2人には心から感謝しています。
(2019年3月13日 琉球新報掲載)
竹内清文(たけうち・きよふみ) 岡山県津山市出身、沖縄県在住。レインボーハートプロジェクトokinawa代表。LGBTをテーマに学校講演会を数多く行う。