![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/311d4d33304d84cb985f6b74ac05c4b0.jpg)
那覇の石獅子を訪ねてみよう
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/8ca37bfe41109f013acb46218a3efd87.png)
石獅子に魅せられて
このコーナーで紹介するのは、「村落獅子」と呼ばれるシーサーです。古くから、災いを防ぐために村落の出入り口などに設置されていたもので、現在、目にすることの多い、屋根の上の漆喰シーサーや門柱の上に「対」で鎮座している焼き物のシーサーの原型と言われています。
丈夫な琉球石灰岩で作られた石獅子は、対ではなく、一頭で頑張って(!?)いるものが多いようです。また石獅子に込められた意味も、「フーチゲーシ(邪気払い)」や、「ヒーゲーシ(火伏せ)」など、地域によって異なります。さらに制作者の個性からか、その表情も、険しいものから愛嬌たっぷりのものまでさまざまで、見飽きることがありません。由来をたどると、地域の歴史や人々の思いなど、いろいろな発見があり、往時の暮らしへの想像がかきたてられます。
手彫りの石獅子の制作を手がけている「スタジオde-jin(デージン)」は、この「村落獅子」に魅せられ、本島各地の石獅子を訪ね歩いています。私たちが会いに行った石獅子を順次、紹介していきたいと思います。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/75faac74a59988f80ff7a637efa5e41b.jpg)
謎だらけの上泉の石獅子
那覇市には戦前、12体ほどの石獅子があったといわれています。現存しているのは、上間3体、安次嶺1体、上泉1体の合計5体です。若狭、辻、首里末吉町、垣花、鏡水にもあったようですが、行方が分からず、資料なども残っていません。
今回は、沖縄県立博物館・美術館の玄関前に安置されている石獅子を紹介します。
これは、元々、戦前の上泉町(現在の那覇市泉崎)、現在のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューの裏手に安置されていた石獅子といわれており、いつ、どういう経緯で上泉から撤去されたのかは不明です。現在、同ホテルの裏手には、身代わりとなる石獅子が置かれていますが、戦前の石獅子の姿をはっきり覚えている人はいないため、沖縄県立博物館・美術館の玄関前に安置されている石獅子が本当に「上泉の石獅子」なのかは定かでありません。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/fbe1eceb1519ab3cd3e905ad57db9a22.jpg)
また昔、この石獅子は「シーサーマーチュー」と呼ばれていたそうですが、それは石獅子があったとされている場所の地名である「小字仲里松尾」が元になっているという説や、付近に松林があったからという説があります(沖縄の言葉で松は「マーチュー」)。この場所は当時、「モーアシビナー(遊ぶ庭)」として有名で、付近一帯が「シーサーマーチュー」と呼ばれており、青年たちでにぎわっていたそうです。
さらに石獅子がにらみを利かせていた方角は、那覇空港近くのガジャンビラ方向という説や、八重瀬岳に向いていたという説などがあり、真相は闇の中です。 昔、安置されていた場所も謎、安置理由も謎、呼ばれ方も謎、なぜ移動されたかも謎、謎々だらけの興味深い石獅子なのです。
(2016年1月8日 週刊かふう掲載)
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/e0fbf56919c6c73fe0992b61c4b7d446.jpg)
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/e1308d082b5f4ba7965c093178d09edf.jpg)
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/cf0969d85aa61ebc4497722db188082d.jpg)
各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。
※危険率とは:石獅子は眺めの良い高台にあることが多く、足を滑らせると大けがをする可能性があります。子ども連れの方は細心の注意をしてください!
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/011/201607/f91c0544de461fa754c28a3b21d65871.jpg)