<金口木舌>「ゆっくり」の歩みを守る


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 那覇の県庁前から交差点を経て国際通りへ向かう歩道を歩む父子を頻繁に見かけることがあった。15年ほど前である。父親は80歳前後の高齢者で、息子も既に中年の域にあった

▼息子は障がい者だった。何年もの間、日課のように親子で歩いているのだと知人が教えてくれた。買い物客や足早に通りを闊歩(かっぽ)する観光客に追い抜かれながらも、親子はゆっくり歩んでいた
▼何を思って毎日歩いているのだろう。こちらからうかがい知ることはできないが、中年になった息子を懸命に守ろうとする父親の強い意志を感じることができた
▼似たような光景を福祉施設の前でも見ることがある。1日の作業を終えた子と、迎えに来た親が家路に向かうのであろう。こちらも歩みはゆっくり。きょう1日を精いっぱい過ごせたという満足感と安堵(あんど)感が漂っていた
▼相模原市の知的障がい者施設で19人が犠牲となった事件から2カ月が過ぎた。容疑者の元職員は「障がい者なんかいなくなってしまえ」と話したという。その凶行は障がいのある子を懸命に育てた家族の輪を一瞬にして破壊した
▼那覇の中心街で見かけた父子は今どうしているだろうか。ゆっくり、ゆっくり歩みながら築いた親子の輪を支え、守っていくのは外側に広がる社会の輪であろう。いずれの輪も傷つけてはならない。悲しい事件は私たちに重い課題を残した。