<金口木舌>父子の戦後


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 1カ月ほど前、県庁周辺を毎日歩いていた父子を当欄で紹介したところ、陶芸家の松島朝義さんから「私の父と弟です」との連絡をいただいた。父は朝永さん、弟は朝和さんである。朝永さんは1995年に逝去した

▼島ぐるみ闘争、瀬長亀次郎那覇市長の追放に抵抗した「民連ブーム」を知る世代なら、松島朝永弁護士を覚えている人もいよう。法曹界に身を置き、米軍の圧政に抗(あらが)った。闘争の最中、朝永さんの事務所に政治家らが集まり、策を練った
▼四男の朝和さんは53年に生まれた。重いダウン症だった。言葉を発することができず、体の自由も利かなかった息子を家族は支えた。父は風呂と歯磨きを手伝った。散歩は60年代に始まる
▼2人の間に会話はなくとも、あうんの呼吸で家を出たという。父子の散歩は約30年も続き、朝永さんの死後は兄弟が引き継いだ。「父は最後まで十分やったという思いだっただろう」と朝義さん
▼父子が歩んだ年月の中で沖縄の施政権は米国から日本へ移った。沖縄を揺るがすような出来事が2人の前を通り過ぎた。散歩道で目にした風景や行き交う人も移ろい続けた
▼日課だった散歩は家族史の一断片でありながら、戦後沖縄史に刻まれる出来事と比する質量を感じる。障がいのある子を支え、静かに歩んだ年月が、何物にも代え難い尊厳を伴って私たちに語り掛けてくる。