<金口木舌>琉球の最先端測量技術


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 太宰治は16歳で、琉球を題材に小説「地図」を書いた。時は1614年、西洋人2人が琉球王を訪ね、世界地図を見せる。琉球が記されていないことに激怒した王は2人の首をはねてしまうという筋だ

▼創作だからケチはつけたくないが、事実は違う。琉球は早くから世界地図に描かれていた。1570年にオランダが作った地図は「レキオ・グランデ(大琉球)」と明記している。県立博物館・美術館で開催中の「琉球・沖縄の地図展」で知った
▼展示の目玉が「琉球国之図」だ。琉球王府が1796年に完成させた沖縄本島の地図で、昨年、国の重要文化財に指定された。伊能忠敬の日本地図より25年も前に作られ、今の地図と比べても、ずれがほぼない精密さだ
▼琉球は当時、世界最先端の測量技術を持っていた。フランスで考案された三角測量を中国経由で学び、1737年、国土の測量に着手する(乾(けん)隆(りゅう)検地)。測量点となる「印部石(しるびいし)」を島中に1万個設置し、14年かけて緻密に調べ上げた
▼琉球併合後の1890年に明治政府も地図を作ったが、恩納以北が右に傾いたいびつな形だ。100年前の琉球の地図よりも不正確なのは皮肉だ
▼外国と交流し世界水準を取り入れた小国と、鎖国状態を続けた島国との違いなのか。琉球の先人からは自立精神や根気強さを感じる。今の私たちはそれを受け継いでいるだろうか。