「ご近所も 世界も見える 紙面から」を代表標語に新聞週間が始まった。それにしてもことしほど新聞の使命と役割を考えさせられた年もそうない。
6月に開かれた自民党国会議員の勉強会で問題発言が飛び出したからだ。著名作家が「沖縄の二つの新聞はつぶさなあかん」と主張した後、出席議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番だ」と述べた。
政府に批判的な言論は統制したいという意思の表れだとしたら、むしろ沖縄2紙への褒め言葉と受け止めたい。新聞の最も重要な機能は権力、なかんずく政府権力を監視することだと考えるからだ。政府に対置する、市民にとっての「番犬」の役割である。
沖縄の新聞が政府批判を強めるのはなぜか。言うまでもなく眼前に巨大な不正義があるからだ。あらゆる選挙で意思表示しても、議会が決議をしても、全てを踏みにじって政府が基地建設を強行するのは、民主主義に反する。戦時、地主を収容所に押し込めている間に土地を強制接収しておいて、「代わりを差し出さない限り返さない」と言うのは、やはり理不尽と呼ぶほかあるまい。
沖縄の新聞が「番犬」の役割を十全に果たせているか、いささか心もとないが、権力の中枢自身が沖縄紙の批判を煙たがっているのなら、誇りに思う。監視・告発の機能を一層強めていきたい。
ことし、集団的自衛権行使を可能にする安保法制が成立した。日本を戦争へと至らせかねない状況があるから、不戦の誓いを守るための監視の機能は従来以上に求められている。一方で特定秘密保護法が施行され、その監視を困難にする環境も着々と出来上がっている。
報道機関は、戦後最も権力監視が必要な時代に、最も監視が難しい状況に陥っているのだ。その点を自覚したい。そして、国民の「知る権利」に奉仕する責任をかみしめたい。
冒頭に掲げた代表標語は名古屋市の主婦の作品だ。「ネットには出ないような地域の小さな話題から世界のニュースまで読めるのが新聞の良さということを表現したかった」と話している。
その「良さ」を十分に発揮できているか、忸怩(じくじ)たる思いもわく。難民が発生するような世界の動きを報じつつ、地域の出来事も丹念に伝えるよう努めていきたい。