軍需産業の高笑いが聞こえるようだ。われわれは「半月の暗闇に生きる人々の声」にこそ、耳を澄ませたい。
英国がシリア空爆に踏み切った。過激派組織「イスラム国」が資金源とするシリア東部オマル油田の施設を破壊したと発表した。
だが空爆だけで「イスラム国」打倒が可能だと信じる人はまずいるまい。
野党労働党のコービン党首は「巻き添えで無実の人々が死ぬのは避けられない」と空爆に反対していた。これに対しキャメロン首相は空爆反対派を「テロリストの共鳴者だ」と決め付けた。短絡的で思慮を欠く発言だ。
コービン氏の言う「巻き添え」こそ、空爆という行為の本質ではないか。遠く離れて発射する空爆で、市民に紛れた戦闘員だけを狙い撃ちできるはずはない。
巻き添えによる死を当然視するのは非人道的だ。化学兵器や地雷はまさに無辜(むこ)の市民を殺傷する非人道性を指弾され、国際社会は禁止条約を結ぶに至った。空爆も同じ扱いであるべきだ。
英米系非政府組織によると、イラク戦争でのイラク民間人の犠牲は最大9万8千人余に上る。軍人ではない、無辜の市民の犠牲だけでこれほどの数に達したのだ。このあまりにも大きな悲劇は、不条理と呼ぶしかない。
しかもこの不条理は、必然的に敵意と憎悪の連鎖を招く。今の各地でのテロは、まさしくこの不条理の結果であろう。欧米は同じ過ちを繰り返すのだろうか。
菅原文子さんは本紙への寄稿で、欧米でのテロによる悲劇は大きく報じられる一方、イスラム社会の悲しみの声はあまりに小さいと指摘した。その非対称性は、菅原さんが言うように「半分は明るく、半分は暗い半月を見るよう」だ。
今のシリアやイラクでの空爆でも、いったいどれほどの妻や母や子が、夫や息子や父の死を悲しんでいるだろう。幼い子や老いた人々が、激しい爆発音の下、どれほど身の縮む思いで息を潜めているだろう。もっと想像力を働かせたい。
そして、こうした非人道的行為がなぜ繰り返されるのかにも考えをめぐらせたい。その裏には軍需産業の働き掛けが潜んではいないだろうか。アイゼンハワー元米大統領は退任会見で軍産複合体の膨張を懸念した。その懸念を、われわれはもっと共有していい。