<社説>嘉手納爆音訴訟結審 司法の良心問われている


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 嘉手納基地周辺住民が日米両政府を相手に、米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めなどを求めた第3次嘉手納爆音訴訟が結審した。

 1982年の第1次、2000年の第2次訴訟とも、司法は米軍飛行場の運用は日本政府の支配が及ばないとする「第三者行為論」で飛行差し止め請求を退けた。司法は今度こそ憲法に基づき判断すべきだ。「第三者行為論」に逃げてはならない。
 過去2回の判決は爆音被害に対する賠償を国に課した。ならば、その原因除去も国に命じるべきだった。飛行差し止めまで踏み込むことは司法の在り方として当然だ。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」との憲法25条とも合致する。
 爆音被害に苦しむ住民を憲法に基づき救済する。それこそが国民の司法への信頼につながる。憲法で保障された生存権、基本的人権が脅かされ続ける状況を司法が容認していいはずがない。
 ところが、米軍機に対する夜間・早朝の飛行差し止め請求は、嘉手納爆音訴訟に限らずことごとく退けられてきた。その結果、どうなったか。
 嘉手納基地周辺に設置された測定局21カ所中8カ所で15年度は環境基準値を超えた。外来機の飛来も常態化している。沖縄防衛局が15年度に目視で確認した離着陸4万3467回のうち、30・3%に当たる1万3170回が外来機である。司法は結果的に爆音被害の放置に加担していることになる。
 第1次約900人、第2次約5500人、そして第3次では約2万2千人が原告に名を連ねた。提訴を重ねるごとに原告が増えたことは、爆音被害がより深刻化していることの証しである。
 新川秀清原告団長は法廷で「私たちは人間として、当たり前に生きていける平和な生活を求める」と訴えた。池宮城紀夫弁護団長は「憲法の原点に立ち、憲法と良心によって、原告らの基本的人権を擁護する判決を下すと確信する」と述べた。当然の主張である。
 司法の良心が問われている。「静かな夜を返して」との住民のささやかな願いをかなえるため司法は今こそ、その責務を果たしてほしい。爆音被害を解消する抜本対策を国に求めるべきだ。違法状態を改善させることは司法の大きな役目である。飛行差し止め判決でしか、正義は実現できない。