少年院の職業指導を担当していた一時期、新たに実習に加わる子どもに必ず出していた質問がある。
「世界で一番格好良い仕事って、何だと思う」
僕の突然の問い掛けに、彼は「鳶職です」と一言。そこで、間髪入れずに「じゃあ、一番格好悪い仕事は」と付け加えると、彼は、若干の間をおいて「掃除屋とか…」と返答した。
「なるほど。じゃあ、こんな鳶職がいたとしよう。毎朝のように遅刻してきて現場に迷惑を掛ける。面倒な仕事は全部他人に押し付けて、さぼってばかり。ひとかけらの責任も誇りもない。どうだ、この鳶職は格好良いか」彼は「格好悪いです」と即答した。
「じゃあ、次は、掃除屋だ。朝は誰よりも早く出勤して事務所の整頓。挨拶(あいさつ)も清々(すがすが)しい。現場に出れば、人目のあるなしにかかわらず、自分の納得がいくまで丁寧な掃除をする。どうだ、この掃除屋は格好悪いか」彼は「超格好良いです」と、また即答した。
「僕もそう思う。ところで僕は、お前に『格好良い仕事』を尋ねたのであって『格好良い職業』を尋ねたわけじゃないんだけど」彼は、あっと口を開けた。若者にこの質問を出すと、9割以上が職業または資格を挙げる。そこには、学校教育が推し進めてきた進路指導の歪(ゆが)みが垣間見える。
「いいか、仕事の格好良さは職業で決まるんじゃない。仕事にどう取り組むかで決まるんだよ。当たり前のことを当たり前じゃない情熱でやり抜いたとき、お前の心の中に大切な何かが残る。僕は、それを『心の資格』って呼んでるんだ。その資格さえ取れれば、鳶職をやろうが、掃除屋をやろうが、必ず、幸せな職業生活を送ることができる。僕が約束するよ」
「自分にも取れますかね」悪戯(いたずら)っぽい目で質問した彼に、僕は笑顔で答えた。「お前にも取れるさ」
(武藤杜夫、法務省沖縄少年院法務教官)