コラム「南風」 変わらない空の下


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 「空からジェット機が降ってきた~宮森小ジェット機墜落事故の記憶~」
 先月26日、私が担当した報道特番が放送された。宮森小ジェット機墜落事故とは、1959年の6月30日に旧石川市の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落し、18人の犠牲者を出した事故だ。

 事故の取材を始めたのはちょうど一年前。実は私の父親もジェット機墜落事故の体験者で、ただ純粋に“父親が体験した事故を知りたい”という思いから始めたものだった。
 取材は事故の体験者が語り部として活動する「宮森630会」を中心にインタビューしたが、遺族の話を聞くたびに“死んでいたのはもしかしたら父親だったかもしれない”と考えると、何度も胸が締め付けられた。
 一年という取材期間の間に沖縄にはいろいろな出来事が起きた。一番胸に残っているのは、2012年10月1日にオスプレイが強行配備された日のことだ。取材で宜野湾市役所の屋上から普天間飛行場に着陸したオスプレイを見た瞬間、悔しさとむなしさで涙がこみ上げてきた。現場に殺到する記者やカメラマンに紛れて、周りに涙を気付かれないように必死だったのを覚えている。
 いろいろな思いを抱きながら今回、報道番組を制作した。番組放送日2日後の5月28日、嘉手納飛行場所属のF15戦闘機が沖縄本島東の海上に墜落した。
 「空からジェット機が降ってきた~宮森小ジェット機墜落事故の記憶~」
 番組の最後は、“あの日から変わらない沖縄の空の下で、遺族たちは今日もあの悲劇を語り継ぐ”という言葉で終わる。いつか番組の最後が、この言葉を使わなくもいいようになるまで、私はこれからもジェット機墜落事故の取材を続けていこうと思う。
(伊波紗友里、ラジオ沖縄アナウンサー兼記者)