《岸本松子さんはいろいろな壕を回ったり、食料を探したり、陣地掘りの手伝いをしたりと、一日一日生きるのに必死でした》
ずっと働いて、休憩もなく、食べるものもありませんでした。逃げ回るときははだしで、けがしても痛くありませんでした。皆けがをして、石にもぶつかって、足も切れました。でも、こんなけがは問題じゃありませんでした。爆弾やアメリカ兵の方が怖かったので。すぐに手を上げて捕虜になっておけば、こんな苦労はなかったかもしれません。
(逃げる途中に)そばで砲撃にやられている人もいました。血もだらだら流れていましたが、助けようともしませんでした。逆に、自分にすがってきたら蹴っ飛ばすぐらいです。自分もいつ死ぬか分からないので。兵隊が死んでいるのをよく見ましたが、怖いという感情もありませんでした。
首里から北部へ逃げていった人もいました。私は他の場所に逃げようとはしませんでした。行ったら(小さい子どもを抱える)母が大変だと思っていたので。兄2人も兵隊に取られていきました。
※続きは12月27日付紙面をご覧ください。