「銃剣とブルドーザー」を思い起こさせるほどの、圧倒的な強権の発動である。
人口150人足らずの高江とその周辺地区に、本土からの派遣を含む機動隊員500人。道路を封鎖し、検問し、もの言う人々を威圧する。なぜこうしているのかの、説明はない。見えてくるのは、「やれることは全てやる」という国の意思だけだ。
東村高江で、いま、行われているのは、人びとの思いへの想像力を欠いた、むき出しの力の行使にほかならない。
「これは沖縄への差別ですよ」
高江に向かう前、名護市で友利哲夫さん(83)の話に耳を傾けた。
友利さんは本部高校の教諭時代、ヤンバルクイナを「発見」、新種として確認することに貢献した人だ。あれからちょうど35年になる。その後、やんばるの森を歩き続け、高江でもヤンバルクイナを確認した。別の場所で、カブトムシと思われていたヤンバルテナガコガネも「発見」している。やんばるの森を最もよく知る人の一人だ。
実直な生物研究者として生き、高校を定年退職後は本部町立博物館でヤンバルの動物、沖縄の自然の素晴らしさを世に出す仕事を続けた。博物館の仕事を終えた後は、本部半島の戦跡を案内しながら、平和の尊さ、戦争の醜さを次世代に伝えることに汗をかいている。
ヤンバルクイナの話から、今回の高江に対する国の振る舞いについて話題を移したときである。友利さんの声のトーンが変わった。
台湾にあった日本人学校に籍を置いていた戦前の小学生時代、本土出身の教師から「琉球人」とあしざまな言葉を投げつけられた。日本復帰前、復帰への連帯を求めて訪れた本土で沖縄に対する侮蔑的な言葉も聞いた…。
沖縄北方担当大臣を落選させるほどまでの沖縄の強い民意が示された今月の参院選。その翌日、有無を言わせぬ形でヘリパッド建設に向けた資材搬入が始まった。説明よりも強権で押し切ろうとする国の姿勢に、友利さんは、こうした個人的な体験を改めて想起し、「沖縄への差別」を強く意識する。
「やんばるの森は、生物の宝庫。今でも『未発見』の動物が生息している可能性があります。古老から聞いていた『ヤママヤー』と呼ばれるネコの一種も、新種かもしれない。神秘の森なんです。やんばるの森は」
ヘリパッドにオスプレイが低空で飛来したとき、高江周辺の住民に健康被害をもたらすのはもちろん、「神秘の森」に太古の時代から生息する動物たちにも異変を生じさせかねない。そこに暮らす人々への配慮、自然への畏敬という、人としての謙虚さがいま、高江から見える国には極めて乏しい。
高江の米軍北部訓練所N1ゲート前。片側1車線の狭い道路の一方に沖縄防衛局職員、機動隊員、警備会社のガードマンが立ち、もう一方に市民たちが、日よけのシートの下に座る。私が訪れたのは日曜日(24日)で、搬入作業は休止され、前々日、前日よりは双方とも人数は減っていた。
日曜日とあって、地元住民以外の参加者もいた。那覇市の男性会社員(41)は、「オール沖縄に投票するだけでなく、その意思を形にするために来た。ここにいる人たちは非暴力で、歌も歌い、ユーモアもある。負けないと感じた」。東京から駆け付けた主婦(33)は「辺野古に比べて、ここは少ない人数で頑張っていると聞いたので、人数の付け足しになれば、と」。今帰仁村から来た農業男性(76)と並んで「ノー オスプレイ」の手製プラカードを掲げ続けた。
ヘリパッドはオスプレイの運用を前提とする。政府がそれを認めたのは4年前。北部訓練場(総面積約7800ヘクタール)の半分の返還の見返りとして位置づけられたヘリパッドの、こうした運用計画の実態はそれまで長い間、公表されずにきた。住民は驚き、以後、異議を唱える声は高まった。
那覇市から名護市を経由して高江まで、車で3時間以上もかかる。遠隔地の意思表示はなかなか届きにくい。しかし、インターネットを通じて情報が瞬時に伝わる時代でもある。地元住民以外の参加者は多様なメディアを活用して高江の苦悩をリアルタイムで知ることができる。
地元住民からすれば、明らかな基地機能の強化だ。辺野古新基地をめぐる問題にも重なる。このままでは、全てが国に押し切られてしまう。高江を孤立させてはならない。沖縄の民意はすでに示されているのだ。この思いの積み重ねが、支援の輪として広がり、具体的行動も促して、国の圧力に抗う力につながり始めている。強権の危険性を他人事ではなく、我がこととして受け止めるかどうか。高江は、そう私たちに問い掛けている。