『沖縄健児隊の最後』 過ち繰り返させない信念


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『沖縄健児隊の最後』大田昌秀編 藤原書店・3888円

 沖縄戦では、軍の補助要員として、師範学校や旧制中等学校の男女学徒たちも動員された。当時、沖縄には12の男子旧制中等学校があったが、その中で最も動員率が高かったのが沖縄師範学校男子部の94%である(2位の県立第一中学校は32%)。国民の模範となる教員を養成するという学校であったからであろう。

 本書は、師範隊本部、千早隊、斬込隊、野戦築城隊、特別編成中隊、現地入隊の全ての体験が網羅され、師範鉄血勤皇隊の戦争体験の集大成といった内容になっている。序章以外は既刊の『沖縄健児隊』(1953年)などからの転載であるが、それらの本は絶版になるなど入手が難しくなっているため、こういう形で新たに読む機会ができるのは意義がある。

 今回新たに書き下ろされた序章では、沖縄戦の経過と師範鉄血勤皇隊の動きが簡潔にまとめられていて、沖縄戦の全体像をイメージする際や、個々の体験記を読む時の参考になる。また「なぜアイスバーグ作戦と呼ばれたのか」の解説など、膨大な日米両軍の資料に目を通し研究を積み重ねてきた著者ならではの見識が光っている。

 著者自身の体験記である第2章の「自分はどうして戦争から生き延びることができたのか」は、『沖縄健児隊』に掲載した文章に「大幅加筆」したものである。文体が常体から敬体になることによって柔らかくなり、若い世代が読みやすいように表現も工夫された形跡がある。それは著者が「あとがき」で書いているように、若い世代に同じ間違いを繰り返させないために、自分たちがいかにして戦争に巻き込まれていったかをぜひとも知ってもらいたい、という強い思いがあったからであろう。

 個々の体験記には、戦場の具体的体験はもちろん、極限状況の中で友や家族、特に母を思うエピソードが随所に出てきて、胸に迫って来る。これらは若い人たちへ戦争を伝えるときの重要なエピソードとなるものだと思う。沖縄戦を伝える活動に携わる人たちにも読んでほしい一冊である。
 (普天間朝佳・ひめゆり平和祈念資料館副館長)

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 おおた・まさひで 1925年久米島具志川村生まれ。45年、沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊として動員される。90年に琉球大学を辞職して県知事に就任、2期8年務めた。

沖縄健児隊の最後
沖縄健児隊の最後

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大田昌秀
藤原書店
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