『名護・やんばるの沖縄戦』 極限状況と軍事優先主義


社会
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『名護・やんばるの沖縄戦』名護市史編さん委員会編 名護市教育委員会・4000円

 「名護・やんばるの沖縄戦」の題が示す通り、本書は名護市史でありながら名護だけでなく本島北部全域を視野に入れており、日本軍、住民、学徒、少年兵(護郷隊)、愛楽園などさまざまな視点からの沖縄戦が描き出されている。これまで、北部地域における沖縄戦の状況はあまり知られていなかっただけに、待望の沖縄戦記録といえる。

 「第1部戦争への道」では、日本・沖縄の近代史の中で国家が国民をいかに統合し、地域を再編していったのかを、名護・やんばるの史料を使いながら明らかにしている。その近代化・皇民化の過程は、終局的には国民をアジア太平洋戦争へと動員していく道にもつながっていったことがわかる。

 沖縄戦時、北部には8万5千人の人々が疎開したともいわれているが、その実数は正確にはつかめていない。北部に疎開した人々はどのような体験をしたのか、「第2部戦場の記録」では他の市町村史の成果も引用しながら、全体的・立体的に描き出している。

 さらに特筆すべきなのは、第6章の北部の民間人収容地区に関する詳細な記述であろう。(巻末の体験記集を除き)全体の約40%の分量を占めており、これまで民間人収容地区の状況については不明な点が多かっただけに貴重な記録となっている。

 沖縄戦において、十分な食糧対策や避難所対策もなされず北部に疎開させられた中南部の住民たちは、飢えにあえぎ米軍の攻撃に追われながら、北部の山々を転々とした。飢えをしのぐために北部の地元民の食糧を盗(と)らざるを得なかった者も少なくなかった。両者にとってどうしようもない状況の中で、互いに敵対し合う状況が生まれたのである。

 本書を通読してあらためてわかることは、沖縄戦において、軍や県当局がいかに住民保護の観点を持たず戦闘第一主義であったかということであり、食糧等をめぐって住民同士が敵対し合ったように、戦争という極限状況の中ではいかに人間の魂を保つのが困難であったかということであり、米軍の沖縄占領政策がいかに軍事優先主義であったかということである。
 (普天間朝佳・ひめゆり平和祈念資料館副館長)
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 名護市史編さん委員会 中村誠司氏が委員長を務める。「名護・やんばるの沖縄戦」の執筆者は東江平之、安藤由美、池尾靖志、石原昌家、上杉和央、浦島悦子、大城将保、大城道子、小原麻子、川満昭広、川満彰、北村毅、清水史彦、玉城毅、玉城裕美子、津多則光、豊島緑、鳥山淳、波平勇夫、林博史、洪〓伸、山本英康、吉川由紀の23氏。
※注:〓は王ヘンに「允」