第2次大戦中、日本軍は南西諸島の要衝の地として伊江島に飛行場を建設、守備隊2700人を配備。1945年4月16日、艦砲射撃ののち米軍が上陸、死闘が展開され同20日玉砕。婦人を含む多くの住民が戦死、また自決に追い込まれた。
伊江島の戦闘 (いえじまのせんとう)
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琉球新報社
第2次大戦中、日本軍は南西諸島の要衝の地として伊江島に飛行場を建設、守備隊2700人を配備。1945年4月16日、艦砲射撃ののち米軍が上陸、死闘が展開され同20日玉砕。婦人を含む多くの住民が戦死、また自決に追い込まれた。