那覇市首里儀保町の環状2号線近くの崖下にある湧き水。1807年、首里当蔵村の宮城筑登之親雲上が中心となって、石樋(とい)を作り、通路を開いて、生活用水場として整備した。かつて宝口には窯もあり、瓦、陶器を焼いていた。
宝口樋川 (たからぐちひーじゃー)
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琉球新報社
那覇市首里儀保町の環状2号線近くの崖下にある湧き水。1807年、首里当蔵村の宮城筑登之親雲上が中心となって、石樋(とい)を作り、通路を開いて、生活用水場として整備した。かつて宝口には窯もあり、瓦、陶器を焼いていた。