北谷・恵祖事件 (ちゃたん・えそじけん)


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 1664年、中国康煕帝の即位慶賀船が福州江口で遭難、さらに海賊(中国人に化けた琉球人)に襲われ、そのどさくさに皇帝へ進上する金壺が乗組員に盗まれ、これをめぐって乗組員同士の毒殺事件まで起こり、薩摩藩の糾明を受けた。琉球王府は薩摩の判決に従って67年5月、北谷、恵祖両親方を処刑、その子8人も流刑及び寺預とした。三司官まで処刑したこの処分は、薩摩が琉球の進貢貿易を支配管理していることを改めて強く琉球に示すものとなった。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)