大正から昭和にかけて、本土の製糸紡績工場へ出稼ぎに出た女子労働者。当時の紡績工場は昼夜交替勤務の12時間労働がほとんどで、体を壊し結核になる人も多かった。本土に出稼ぎに出た人の大半は、紡績女工であった。
紡績女工 (ぼうせきじょこう)
この記事を書いた人
琉球新報社
大正から昭和にかけて、本土の製糸紡績工場へ出稼ぎに出た女子労働者。当時の紡績工場は昼夜交替勤務の12時間労働がほとんどで、体を壊し結核になる人も多かった。本土に出稼ぎに出た人の大半は、紡績女工であった。