<金口木舌>「ワイド節」のこころ


社会
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 30年ほど前の夏の夜を思い出す。鹿児島県奄美市で坪山豊さんの歌を聞いた。黒糖焼酎を味わい、歌声に浸った。奄美を代表する唄者の訃報を聞き、あの夜のステージがよみがえった

▼坪山さんの歌声に観客も歌声で返す。曲間も和やかな会話が続いた。舞台と客席が一体となり、ステージを盛り上げる。島唄と共に生きる島人の心を見た思いがした
▼奄美に古くから伝わる「板付け舟」を造る船大工だった。島の伝統を守る職人である。そして、島唄の伝統を大切に受け継ぐ唄者にして、新曲にも挑むパイオニアだった
▼新曲が続々と生まれる沖縄とは異なり、奄美の唄者は伝統的な島唄を歌った。坪山さんは「現在の生活の中から生まれる唄があってもいい」と考え、1978年に発表した闘牛の歌「ワイド節」は大評判を呼んだ
▼最初に吹き込んだのは坪山さんの下で学んだ築地俊造さん。「自分たちのメディアを持てば方言、文化、音楽を発信できる」と語っていた。3年前に亡くなった築地さんの遺志はコミュニティーFM「あまみエフエム」に生きる▼奄美の島々もコロナウイルスに苦しんでいる。ここは「ワイド節」の心意気で乗り切りたい。「子(くゎ)孫(まが)寄(ゆ)らとて 育(ほで)しゃる牛ぐゎ 今日(きゅう)ぬ晴場所 でィさぁさ頑張(きば)てんにょ」と威勢よく歌う。「子孫で育てた愛牛よ 今日の晴れ場所 さあ頑張ってくれ」という意だ。