<金口木舌>山原船はなくとも


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 戦前、国頭から与那原までの物資輸送を担った山原船(マーラン船)。2015年にうるま市教育委員会が主催した山原船の復活航行では、まきや泡盛などの国頭村の特産品が115キロの道のりを経て与那原町に運ばれた

▼国頭村制100周年を記念して16年に発刊された村史「くんじゃん・国頭村近現代のあゆみ」によると、山原船は土地の整理と密接に結び付いていた。1899年に沖縄土地整理法が施行され、土地取り引きが自由になったことでウェーキと呼ばれる資産家が誕生した
▼広大な耕作地のない国頭のウェーキが始めたのが町屋と呼ばれる商店経営。町屋経営は山原船が必須だった。ウェーキは那覇や与那原だけでなく、与論島とも交易し、国頭村の特産品を各地に運んだ
▼茨城県の道の駅さかい(境町)で国頭村公設市場がオープンした。国頭村のパイナップルやマンゴー、モズクなどが販売されている
▼きっかけは2018年4月に結ばれた境町と国頭村の「道の駅」による友好都市協定。将来的に姉妹都市になることを見据え、人的交流や経済交流を重ねてきた
▼20年4~6月期の国内総生産(GDP)速報値は、年率換算27・8%減で戦後最悪のマイナス成長を記録した。新型コロナウイルス終息の道筋はなかなか見えないが、山原船はなくとも、友好から生み出された新たな販路に一筋の希望を感じる。