<金口木舌>豚熱からの再起


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 「待望の豚到着」。1948年10月1日付の「うるま新報」が、ハワイの県系人から550頭の豚が届いたことを報じている。同じ紙面には米の配給を案内する記事、メチルアルコールの密造酒を飲んだ人が死亡したとの記事もある

▼沖縄の人々は戦後、ひどい食糧難に直面した。ハワイの県系人が送った豚は4年後には10万頭に増え、ウチナーンチュを窮地から救った。ミュージカル「海から豚がやってきた」の元になった逸話だ
▼昨年1月、豚と畜産農家が災難に見舞われた。県内で34年ぶりに確認された豚熱だ。殺処分された豚は10農場で約1万2千頭。農家への打撃は深刻だが、豚肉食は沖縄の食文化には欠かせない。クラウドファンディングや豚肉消費を促す催しなど、養豚農家を支援する動きが各地で活発化した
▼県畜産課の統計でここ数年、県内の豚の飼養頭数は20万~22万頭で横ばい。30万頭を超えていた1980年代に比べると減ったが、ブランド豚の確立などで生産性は向上した。関係者の努力が沖縄の豚肉文化を支えている
▼殺処分を強いられた農家も再生に向け、走りだしている。豚肉のメニューで地産地消を促すキッチンカーを開店した農場もある
▼ハワイ沖縄連合会の関係者が昨年、取材を通して農家にエールを送っている。「こんな時にこそ本当の沖縄の力が出てくる。再起を祈っている」