<金口木舌>「空港通り」の夢


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 米軍嘉手納基地の第2ゲートから国道330号に向かって、コザゲート通りに飲食店やライブハウスなどが並ぶ。胡屋十字路には著名なミュージシャンも公演するコザ・ミュージックタウンもある。この通りはかつて「空港通り」が正式名称だった

▼復帰後、嘉手納基地がいずれは返還されて民間空港になることに期待を込め、地域で親しまれた「ゲート通り」から改称したという。返還されなくても「軍民共用が実現するのでは」との思いも込められていた
▼しかし復帰から30年以上を経ても返還は実現しない。「空港通り」は地元でも定着せず、通り会は2005年に名称をコザゲート通りに戻した
▼沖縄国際大学の友知政樹教授の試算によると、嘉手納基地が返還された場合の県経済への直接的な効果は1兆4600億円だという。市街地にも隣接した平らで広大な空間が返ってくれば、さまざまな使い道があるはずだ
▼第3次嘉手納爆音訴訟の判決が確定した。最高裁は米軍機の飛行差し止めを認めず、将来分の損害賠償も退けた。原告は「人権を受け止めていない」と裁判所や被告の国を批判する
▼基地がある限り人権侵害は続く。那覇新都心地区、北中城村ライカムなどの変貌を返還前に予想できた人は少ないだろう。嘉手納基地返還は困難かもしれないが、日米両政府が決断すれば不可能ではないはずだ。