<金口木舌>また戦どぅやがや、伊江LCT爆発75年


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 「また戦(いくさ)どぅやがや」。75年前の8月6日夕、伊江島の大口(うぷぐち)浜で起きた米軍の爆弾輸送船(LCT)爆発を目撃した女性は孫に言った

▼荷崩れによる爆発事故で死者は107人。戦前、日本軍の飛行場が建設され「沖縄戦の縮図」と言われた伊江島は、戦火で住民1500人の命を奪われ土地の65%を米軍に奪われていた
▼戦後、広島原爆投下からちょうど3年目、事故は起きた。LCTと民間連絡船が居合わせた爆発にイルカの肉を売りに来た19歳の外間モウシさん(幼名)は巻き込まれた。戦争孤児で慰霊碑には刻銘されていない
▼事故後、55年3月には武装米兵が突如上陸して「銃剣とブルドーザー」による農民の土地や家屋の収奪が始まり、演習地が拡大され射撃訓練が始まった。住民らは思った。再び「戦争が始まった」
▼伊江が生んだ阿波根昌鴻さんの残した言葉を思う。「爆弾を落とした国より落とさせた国の罪は重い」「基地をもつ国は基地で亡び核を持つ国は核で亡ぶ」。台風6号の猛威さめやらぬ中、モウシさんの短い人生に手を合わせる。