<金口木舌>ふるさとと甲子園と


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 「ふるさとは遠きにありて思うもの」。そんな一節のある詩「小景異情」を、室生犀星は故郷金沢で詠んだ。不遇な記憶が残る郷里は望郷の念を抱く場では必ずしもなかった。それでも募る複雑な思いを言葉に託した

▼今夏も沖縄尚学が甲子園に挑んだ。こんな声をアルプス席で聞いた。「県大会と違って、ここでは県民が応援してくれる」。地元での勝敗の哀歓を超え、一度甲子園に至れば一身に県民の期待を背負う。郷土の思いを一つにするのも甲子園なのだろう
▼県人会兵庫県本部会長の具志堅和男さんは応援で手に汗を握った。甲子園は具志堅さんにとって「沖縄を訴える場」
▼遠く離れた故郷は依然、基地の島。変わることのない理不尽は、県外にいるからこそもどかしい。「高校生たちとは別の話だけどね」。そう言いつつ球児と郷里を重ね、行く末に思いを馳せる
▼米占領下の1958年から甲子園に出場して今年は65年。県内を一心に、そして県外に住む県出身者とを多様に結んできた。いつの時代もふるさとは不思議な引力を持つ。