<金口木舌>兄弟島のイベント


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 「きょうだい島だからね」。沖縄から来たことを告げると、行く先々でこう語り掛けられた。訪れたのは国頭村の辺戸岬から約25キロ離れた鹿児島県の与論島だ

▼シーサー、月桃、白い砂浜…。島内を歩くと、いくつもの「沖縄」が目に飛び込む。沖縄より本土を強く感じさせたものもある。家屋だ。今の沖縄に多い、コンクリートブロック造りは見当たらない
▼与論島を含めた奄美が日本に復帰したのは1953年12月25日。復帰前の沖縄と切り離されたことで、沖縄から資材を運べず、家屋の形態は鹿児島に近くなった。鹿児島本土は遠いため容易に資材が手に入らず、トタンの三角屋根が多くなったという
▼今月28日「やんばる駅伝」が与論島で行われる。費用の面もあり、島外からも広く選手が参加するスポーツ大会が離島で開かれることはまれ。運営に手間が掛かる離島開催を通し、負担感を共有することも狙いの一つだった。粋で志が高い大会だ
▼与論島は2000年の第10回大会から開催地に加わった。それ以降、伊江、伊平屋、伊是名、与論の4離島持ち回りで行われている。今回は17チームが44・2キロで覇を競う
▼「与論にとっては4年に1度のオリンピックだ」。島内には「やんばる駅伝」を心待ちにしている人が多い。かつては奄美の日本復帰で切り離された沖縄と与論が「やんばるは一つ」を合言葉につながっている。