<金口木舌>核廃絶の決意はどこへ


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 今になって思う。オバマ米大統領の広島初訪問は何だったのか。「アメリカを含む核保有国が勇気を持って核廃絶を追い求めなければならない」との決意が忘れ去られたかのよう

▼米大統領選にみるネガティブキャンペーンは文字通り激烈な戦闘である。「キャンペーン」という英単語の語源は「戦場」にあると辞書にある。品性なき戦いの場では高邁(こうまい)な理想も色あせてしまう
▼被爆体験を次世代に伝えてきた語り部が減っている。核廃絶運動は曲がり角を迎えている。広島、長崎両市は今年の平和宣言でオバマ氏に触れるだろう。選挙戦の最中であれ、被爆地の苦悩を顧みてほしいと思う
▼1945年8月15日付本紙に「原子爆弾」の文字が初めて載った。ポツダム宣言受諾を報じたのと同時である。その後、「原爆」の文字が頻繁に出てくる。冷戦を米統治の沖縄から見詰めていた
▼「われわれは徒(いたず)らな、或(ある)いは故意の戦争デマに踊らされずに、沖縄の復興に明日の希望を持つべきであり、また持ち得ることを確信する」。米ソの対立と核実験を論じた50年3月2日付の本紙社説である。時代は違えども、戦争の脅威と向き合う姿勢は今と通じ合う面がある
▼ノーベル平和賞を受賞したオバマ氏の後任を決める選挙だ。中傷合戦もほどほどに、核廃絶の道筋を論じてほしい。原爆で無辜(むこ)の民を傷付けた国の責務ではないか。