沖縄総合事務局が2008年まで入居していた国道58号沿いのビルがシートで覆われている。解体工事のようだ。沖縄振興の歴史をととどめるビルが消えようとしている
▼1990年代後半、このビルに出入りした。最上階に理髪店があったのには驚いた。建設業の営業担当らしき人が盛んに出入りしていた。復帰後の沖縄振興策の性格を表していよう
▼建設中に入居が決まり、6階建てから9階建てに設計変更したと元職員が明かしてくれた。72年の復帰当日、職員に渡された辞令はボールペンの手書きだった。異例尽くしの中で県と国という沖縄振興の両輪が動きだした
▼沖縄総合事務局に対しては警戒感もあった。71年11月の「屋良建議書」は沖縄の自治への影響を考え、その機能を「必要最小限」とするよう求めた。県庁が総合事務局の下請けになることへの危惧もあった
▼そんな逸話や歴史をご存じか。鶴保庸介沖縄担当相が県内視察を終えた。辺野古新基地を巡って「地方自治の死」と「リンク論」が取り沙汰されている最中だ。沖縄振興の両輪が発するきしみを耳にしたであろう
▼件(くだん)の元職員は概算要求減額を基地に絡めた政治的脅しと断じ「沖縄振興システムの崩壊だ」と評した。これでは文字通り自治破壊だ。米統治に対する「償いの心」を原点とした沖縄振興の理念をビルもろとも壊してはならない。